一、大塩平八郎父子大坂市中勿論、近国・近在・山々谷草を分ての御穿鑿有之候処、何処へ隠居候哉頓と行衛相知不申候。然る処天罰難遁、三月廿七日当地靱油掛町美吉屋五郎兵衛と申者の方に忍居候風聞有之候に付、同朝五つ時御奉行所より召捕の為め、内山藤三郎 *1 其外組の衆数十人被差向候処、内より焔硝にて火を放ち、黒煙の中にて忰格之助の首を討ち、自分も共に自殺致罷在候。直様火を防ぎ死骸相改候処、大塩父子相違無之由にて、御奉行所へ右死骸駕籠に打込被相運候。 但し右駕籠は近辺の医者方にて御借被成候由長棒乗物切棒乗駕籠に候事。
先づ右大塩父子被召捕候故市中穏に相成り、諸人安心致し
申候。
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