Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.5.2

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「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 熊見六竹が筆記 その3

 







 
一、羽州の僧雪堂・恵原と申すは、七絃琴の上手にて歳六十計り、書も能く書き申候。堺筋淡路町北へ入る西側の裏に偶居せり。出火の節手廻りの物を持遁んと表へ出で、南の辻へ出かけ候処、辻の真中に石火矢居置き有之候故、驚き立戻り軒下に彳み居候内、大勢辻にて石火矢を見物致し居候者有之、甚だ悠々緩々たる事なりける。

暫くして石火矢を少し西へ引戻し候故、此隙にと一散に南へ走り、人影十人計りと思ふ程行過候処へ、南より鳥銃持たる人三十計り来り候て、「辻へ出火此処を打て打て」と頻りに下知する声の聞えけると、一時にぽん\/と夥敷鳥銃の声聞えける時、南の瓦町の辻近くにてこけたるが、此和尚のこけた背の上を、三四人も踏越たりと覚ゆる時漸々起上り、北久太二丁目某寺へ遁行たりとぞ。

察するに、此所彼首なき死骸の有りし処なれば、南より来りしは尼ケ崎衆なるべし。扨此話を聞くに、石火矢を大勢見物し居たる抔甚だ緩々(ゆる\/)したる事なり。天満を引き歩行たる時も、甚だ優長なる事にてありける由は、車を曳くに無據補へられて、暫時曳いて能き程にて遁げたる者の話しなりけると聞きし事。

一、石火矢の前に小旗三本、三社の託宜を書ける由、大旗は上に二つ引き桐の絞附き、下に救民の二字ありけるよし、何れも白縮緬に染込の幟なりける由。

一、逆賊大塩平八郎始め同人党の出立は、肌に著込様の物を著用、上に具足を著たるもあり。火事羽織もあり。色々ありけるとぞ。又兜を著たるもあり。兜頭巾もありけるとぞ。百姓の方は常体の日庸体なりける由。

一、蕗州子曰く「与力町へ火事見舞に行きたる時、出掛に石火矢を引行くを見たれば、一人白垢を数枚重ねたる者附添ひたり。大方賊首大塩ならん」と云へり。

一、十九日出火天満と聞き、我等天満与力町辺に一向知音もなければ、五つ過堂島船大工町難波屋・鶉屋抔へ行、火見より火を見るに、驟の事故暫時店にて話し居候処、角力取帰り、「今日の火事は恐しき火事なり。鳥銃抜身にて一向近辺へ行かれ不申、遁帰る由」申候。店方にて話し候は、「与力町に喧嘩抔出来斬合候由、自焼して切腹致すならん。四軒屋敷故多分大塩氏対手ならん」抔話したり。扨帰りにも処々にて其噂計りなり。帰宅後船場へ火移りける後、逆謀の由風聞人々驚き擾乱となれり。我等も荷物片附け、廿二日夜此迄を認め終りぬ。

 


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