Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.8.8

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 野口市郎右衛門見聞之記録 その11












一、十九日・廿日・廿一日頃市中の大変筆紙に尽し難し。実に慶長・元和已来甲冑を著込み、鉄炮・火縄にて市中を徘徊之有る抔、殊更淡路町筋死亡の者共鉄炮にて被打殺、首無之者大道に其儘有之を現に見物致し、白刃にて所々武家方の往来近国御備人数等を見懸候ては、すは敵の寄来るやと貴賤・老若泣叫び逃廻り、如何なる豪富の且那・深閨の佳娘なども素足風呂敷包に背負ひ逃迷ひたり。或は武家方組与力が内室等、長刀を横へ腰に幾つも刀をさし、下女等は大風呂敷を負ひ、是も脇に刀・脇指を幾つも押込み逃たる有様、此時に当つて万貫目持も今日暮しも聊か変りたる事なく、落し文の書面の如く、豪富奢侈を専らに致し候者共、今日に至て如何ぞや。後日よき手本ならんかし。

一、大坂蔵屋敷方留守居夫々御備御頼も有之、大混雑には候得共、 何分火急の儀火薬等用意無之、大に難渋、役人等武術・馬術等如何程にや。総体蔵屋敷の儀米銀差引き場故、防火の例は度々有之候ても、斯様の珍変用意の人数等もなく、仲仕等も出入有之候乍ら、諸方兼持の者にて、皆々大に被相困候。御備方立派に被出陣被致候も有之、又は国元より兼々申付の趣意を以て、公辺へ被答、防火のみにて武備の儀は断り被相成候も有之候事。但人数差出し被成、仲仕召連られ候処、鉄炮を逆にかたげ人より被笑、俄に一統被持直候も有之、又鎧櫃は銀主館入抔の土産物入れ有之、俄に周章被致候も有之、槍等も無之、館入古き家抔の長押に懸け候も借りに参り候処、皆々弓の如くエ返(そりかへり)たるを為持候もあり、又御城御組辺には、万屋小衛方へ昔より質物に差入有之を、急に被受出候もあり。是は此程過候て、皆々方々より受出しに参り、大に鎮時の利益なりと承る。具足屋・馬具屋十九日より大に忙しく、昼夜掛り種々の仕入を俄に註文有之もをかし。

 





一、御城は柵を結ひ、幕陣立厳しく、北條侯御差図の陣立有之、御役人方実地を試みられたるは此度初てなりと後にて御噂有之候。余などは無何心見物致し候得共、青龍・白虎と申す立て方の由、後日承之。 賊徒桐の旗印と注進有之に付、もしや薩摩抔加勢ならんと公辺にも御驚き有之由。













一、十九日大変中鉄炮御組抔、各々昼夜を不分奔趨の中に、右人数労中此一件を万歳の唱歌に作り、翌廿日認、一見致たる朋友あり。実に言語道断と人々笑ひ罵りたり。是は軍中の有様を知らぬ人の、昔敵方寄 来り騒動中連歌の会を催し、先刻より鉄炮にて烈しき折節、郭公 を聞くとて茶湯の案内抔ある類、往古の記録中には沢山なり。是等の趣と同意なり。其心味ひてしるべし。 大変中抜身の鎗抔の類都てさびたる故、眼へ見たる節は恐気なきなり。











一、廿一日朝伏見豊後橋にて、三人の落人被生捕候。余程金子所持にて、折節役人より被追詰橋の上より飛込候処、兼て彼橋近辺は網を水底に御備有之候に付、即刻用意の綱網を被引上候処、魚の網に懸りたる如く、人々大に笑ひたりとぞ。 但是は白井孝右衛門竝に平八郎家来の由。






「浮世の有様 野口市郎右衛門見聞之記録」その10/その12
「浮世の有様」大塩の乱関係目次2

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ