Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.8.29

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「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 大塩動乱の顛末竝に著者の管見 *1 その2

 






然る処東御奉行跡部山城守殿御組与力に、大塩格之助父隠居平八郎と申者有り、其性質を承及ぶに、当時秀才の聞え有りて、余程和漢の学に通じ、武辺に宜しき門弟数多有之、隣国他郷に響いて能人の知処なり。

先年高井山城守殿在勤中、京都清水の辺に本は茶屋女、改めて其名をと名乗るもの、切支丹宗門を学び行ふの聞え有之、此儀露顕に及び、早速召捕り其折専ら詮議の事、此平八郎取扱ひ候始終承及ぶに、右を賺し宥めて此宗門の奥義を聞き、秘密伝授と書物等を熟覧して是を極め、夫より厳しく詮議致し、終に事明白に及び、夫々御仕置被仰付、依つて此一件相静候以後の勢ひ広大にして、実に空行く鳥も翔を垂るの威勢有るに依つて、東都より是を糺さんが為め密士を入らるゝの処、果して失有るに依つて公辺の御沙汰に及び、依之忰格之助へ跡式相譲り、其身は隠遯の願を出し、隠遯の身と成りて遊山・遊興に事寄せ、他国他郷へ掛屋敷等出来置き、或は半年・三五月其所に到り候へば、自身居間近くへは一円人を払ひて、口入の仕方有之候風説、此期に及びて考ふるに、全く邪宗に陥りたる事紛れ有間敷き致方、莫太大恩の天下に弓を引かんと反逆の兆を為す事、彼宗意新四郎*2 等が再来にもや。如何なる天魔に見入られて、無謀叛に徒党をなし、賊敵の名を後世に残す事、誠に浅ましき次第ならずや。

扨近年打続き凶作にて、今年も米穀諸品共に殊の外高直なる事、八旬の翁も曾て知らず。依つて東都には外神田佐久間町河岸通りへ百間有余の御小家建連ね、数万人の飢を救ひ給ふ。武家は素より有福・有徳の農商共に其分限に応じ、金銀米穀を貧窮の者へ施し与ふ事、三都会に不限人情の常也。

されば此平八郎も兼て内福に暮しける由、多年好で所持たり書物の類、或は家財・著物の類、夥しく所持なし、幾莫の金銀を調達して近隣又は大坂町中貧窮の者、或は門下に出入る内国の者へ施として配送す。因茲挙りて是を尊敬する事、高位・高官の人の如く賞讃す。今熟々と是を考ふるに、人を釣入て餌にして、全く救民の故にあらすや。誠に怖るべきの狼賊なり。太公望は餌なく共渭水に武王を釣りしにあらずや。餌を以て人を繰り引入るゝ事何事ぞや。是を知らざる百姓共餌に迷うて、二つなき一命を謀計に買はれて陥り、未だ夢の覚めざるもの多し。

 






扨又某が家系は知らざれ共、今川義元の末葉と申立て、其身は今川治部太輔と自号し、去年妾腹に男子出生す。是を今川弓太郎と名乗らしめ、此度の隠謀総大将と号す由。未東西も分難き小児に迄、陥穴に引入れ荷責に困らす事、悪逆眼前たる地獄道の有様、此一事にても逆賊たる事顕然たり。








管理人註
*1 三一書房版は「堀伊賀守家来筆記」
*2 島原の乱の森宗意軒、天草四郎のことか。


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「浮世の有様」大塩の乱関係目次2

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