Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.8.22

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「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 大塩動乱の顛末竝に著者の管見 *1 その1

 
 








予此度摂州に有之、幸なるかな大塩父子が乱妨を見聞く事を。剰へ鉄炮の下を潜り、大小に反を打ち、鞘を放つて槍を持つ事、是誠に武門生前の本快ならん。此故予見聞の荒増を書して、東都に帰路の土産となし、旧友等が笑顔を楽しまんが為、此書を綴る。空有り実有る事は死骸に物を聞くの由なき事を察して笑ひ給ふ事勿れ。穴賢々々。

 于時天保八酉三月

 








抑々徳川の流は堯舜の御代とも云ひつべし。万機の政穏にして慈悲の浪四海に普き、治めざるに平なり。君々たれば臣も又水よく船を浮ぶとて、此難波津は其昔、仁徳帝の御宇かとよ、三年(とせ)調を許されし、御代にも増すやます鏡、曇らぬ例し有磯の海の、浜の真砂の数尽し、弥増に運ぶ御宝は、千穐万歳の千箱の玉の八百万、八島の外迄波もなく、広き恵は筑波山、繁き御影は大君の国なれば、土も木も栄え栄かうる津の国の、難波の梅の名にし負ふ、匂ひは四方に普くて、一花開くれば天保八酉の春とぞなりにける。

 








時に御城代には総州古河城主八万石 土井大炊頭殿、御定番には江州三上 壱万石 遠藤但馬守殿、今一人 米倉丹後守殿未だ御著無之事壱万石 并大御番頭 参州新城 菅沼織部正殿・ 河州狭山 北条遠江守殿、御加番には 越前大野 土井能登守殿・ 越後与番*2 井伊右京亮殿・ 出羽長瀞 米津伊勢守殿・播磨安志 小笠原信濃守殿、御目附には中川半左衛門殿・大塚太郎右衛門 *3 殿。

尤も町御奉行には跡部山城守殿・矢部駿河守殿には、去年交代有りて当二月二日堀伊賀守殿着坂、御初入の式日を負うて、同九日常例に応じ、御先役御案内にて初日御廻見中通の方相済み、二度目同十四日東より南の方首尾好く相済み、三度目同十九日西御役所浜通り、北は平野橋一丁目筋より雑喉場魚市・江戸堀・土佐堀・常安裏町・会所御休み、玉江橋・渡辺橋・米市場・曾根崎村露の天神・北野村神明社・天満西寺町・北野村不動寺御通抜け、大融寺御休み、南木幡町・伊勢町・樽屋橋天満組総会所御昼休み、夫より天満天神桓木屋大溝の側通、天神橋筋西町御組与力屋敷御見分、両御迎へ与力宅へ御立寄并同心屋敷御見分、綿屋町東御組同心屋敷。空心町大溝の側、新御蔵并御材木蔵・川崎御組与力屋敷・四軒屋敷・長柄町御見分有りて、天満橋御渡御帰館の道操に相定む。

 


管理人註
*1 三一書房版は「堀伊賀守家来筆記」
*2 与板。
*3 犬塚太郎右衛門。

川崎与力屋敷復元図
有働賢造「川路聖謨と大阪
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