大塩動乱の顛末竝に著者の管見 *1 その3 |
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平 山 助 次 郎 大 塩 叛 逆 の 由 を 報 ず |
評に曰く、此書如何なる事を認候哉難計。乍併風説を考候へば、天より給ふ事といふ檄文を認め、町人・百姓の政事を誹謗して、或は跡方も無事を竝立て、己が庸才に誇りて人を蔑に嘲したる文面、又は両御奉行御指図方の不宜、依之諸色高直抔と凶豊の弁なく申立候書面、且亦御巡見を待受け、組屋敷え御入の節両方より挟み、火矢・鉄炮の類にて打留め、夫より大坂町中焼払ひ、富家の財宝を以て軍用となし、首尾よくば御城迄乗取り可申企て有之趣等、逐一に認め可有之と被考候。
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内 乱 の 報 を 得 た る 態 度 |
翌十八日、右の次第山城守殿より伊賀守殿へ御談合に付、「不取敢手
当可致旨」答候処、山城守殿被申候は、「拙者存寄り有之候間、今暫く御見合可有候由」に付、其儘退出の上御手分け、御組与力吉田勝右衛門呼出し、右の企て実否相糺し候様被申付。依之吟味の処、格別の儀共相見え不申段、返答に及び候へ共、尚亦不安気に被思召、又々勝右衛門へ再応被申付、夜に入り亥の刻罷帰る。然る処丑の刻頃東御組同心九郎右衛門忰吉見英太郎・同郷右衛門忰河合弥七次郎*2、右両人若年と乍申、西御役所中の口へ罷出で、御家老へ直に申上度き次第有之候由」申入れ候間、取次の者此段当番家老中泉撰司・公用人下山弥右衛門へ通す。右両人早速呼入致対面候所、言語道断の趣委細認内訴状、并徒党の者共の檄文相添へ差出し候間、撰司承届け即刻松本嘉藤太へ相通じ、出席の上亦々吉田勝右衛門呼出立会にて、右訴人申條伊賀守殿御糺有之、無相違に依つて直に勝右衛門へ、右徒党の者共召捕候様、今晩中手当可致旨被仰渡、勝右衛門急に退出。右の訴人共は夜明け候て、総会所へ御預に相成る 後に江戸表に召登御詮議有之 |