Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.9.4

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

御霊猫間川砂持 その4


廿九日曇、辰の刻徴雨 今暁丑刻土用に入 今日より猫間川砂持又騒出す。御霊は未だ十日の内一日残り有り、三日の日延も之有れ共、出火に付いての事なりと思はる其切に止になる。

六月朔日、終日雨、今日より晴天、十日の順にて座摩御旅処砂持始る
二日曇、辰の刻より雨、未の刻より大雨、暮過止む。
三日晴曇不定なれ共雨ふらざる故、猫間川・座摩等の砂持一処に混じ、「負なよ\/\/」とて大はずみとなる。

 








先月廿三日より廿五日迄は、大に暑気を催せし故、土用前の奇特ならんと思ひしに、廿六日頃より冷気となり、廿九日より寒気烈しく、六月朔日・二日・三日の頃は、布子にても寒き程のことなるにぞ、暴に米価十匁余り高直になり、斯くては当年も如何あらんと年柄を案じぬる者も少なからず。

斯る中にても砂持は盆々壮盛んなり。猫間川砂持せる人の中にて、此節土用に入りて雨天打続き寒さ強し。先にて旱り上りなば米に気遣する程なることはあるまじけれ共、綿は又当年も不作ならんと、云ひし者有りしかば、「斯る太平の御代に不吉の詞を出す憎き奴なり」とて、其者引立行き、鉄刀にてしたゝか打叩きしかば、其群の者共大に恐怖して、悉く逃げ帰りしと云ふ。

 







又松屋町にては先達て天神の砂持に若き者共、老分の制するをも聞かず、仰山なる地車を出し過分の物入有りしにぞ、此度猫間川御手伝も申付けぬれ共、町内の者をば一人も出さずして、働く一方なる雇人足を仕立て之を出せし処、総年寄へ其町の年寄呼付けられ、大に之を叱付けられ、無拠其町も揃の衣裳・鉦・太鼓にて踊り行きしと云ふことなり。

五日朝曇、昼頃より晴。六日晴天、一昨日頃より冷気失り、大抵暑気の模様となる。

 


「御霊猫間川砂持」その3/その5
「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

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