Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.11.21

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

堂上侍と二條城詰侍 その2














五月中旬の事なりしが、京都千本通三條の茶店に二條御城詰の士両人休らひて酒を飲みて居たりしに、堂上侍と思しき者、娘一人召連れしが、之も同じく其茶店に体らひしに、両人の士其娘を捕へ、尻を捻り手を引張り、酒の酌せよなど種々法外の事を言掛け、無理に之を手込にせんとなしぬる故、之を振切りて、かゝる者共に出会し、彼此無礼咎めするも詮なき事と思ひしと見えて、何気なく其茶屋を立出で早々歩み行きぬるに、両人の士も同じく之に引添ひ立出でて、途中に於て其娘に抱付き不法の事に及びぬるにぞ、

今は捨置難く、両人の士を其所に投捨て其儘に行かんとせしに、何れも起上り大に怒り、「武士の身にして人に投げられしとては、其儘に為し難し、尋常に勝負すべし」と、刀に手をかけ頻りに之を言募るにぞ、

一方には事を好まざる事故、其場を避け逃れ んとすれ共、両人士更に許さゞれば、「今は詮方なし、然らば其方共の望に任せ勝負すべ」しとて、親子共裾をからげ股立を取り、襷をかけて身拵へし立向ひしにぞ。

かゝる程の事なりしかば、人通り多き場所柄の事故、大勢立止りて是を始めより見物す、両人の士其不埒なる事言語に絶せし事なれ共、之を堪へ忍びし事一通りの事には非ざりしか共、今は無拠場に至りし故、両人とも腹を居ゑて身拵に及ぶ、至つて勇勇しき様子なりしと云ふ。親子が斯る有様なるを見て、両人の悪党共も案の外なる様子にて、今更如何とも仕難く困りし様子にて、見物の目に止りし程の事なりと云ふ。

双方共刀を抜合せしが、始め其間を三間計りも隔たりしが、次第に双方より進み寄りて一間余りになりぬ。こゝに於て互に暫しためらひて、勝負何時か果つる事あらんと思へる程に間取りしに、如何仕たる事にや、娘倒れて地に手をつきぬるにぞ、其相手踏込て之を横なぐりに切払ひしかば、娘沈んで之を避け、直に踏込 て其相手の脇腹を尖通す。相手之に堪兼ね、其疵口を押へて三町計り逃行きしが、忽ち其処に倒れて動くこと能ずと云ふ。

娘沈んで相手の横に斬付けし刀を避けしか共、娘の事なれば島田わげの大なる故、之を根本より切払はれ、遥なる外へ其わげ飛びしといふ、危き事なりしといふ噂なりしが、双方立向ひし迄の事にて、切合へるにてもなく、何の故もなくして倒れて手をつきぬる事あるべからす。こゝに倒るゝ程の不覚人ならば、身構へして斯かる事に及ぶべきことには非ず、余りに勝負はてしなき事故、態と相手をそびかん為め、手をつきて見せたるなるべし。其これをかわし直に踏込んで其脇腹を尖貫きしにて思遣るべし。其わげを切られぬるは、娘の事にて大なる島田ゆゑ、其刀にて切払はれしものなるべし。娘が相手の腹を貫くと其儘に、親父も踏込みて今一人は其場にて之れを斬倒し、親子とも刀の血をぬぐひ鞘に収め、身繕ひをなして其儘立去らんとせしが、親父振帰り之に留めを刺さんといひぬるを、其娘之を止め、「苦るしからじ捨置き給へ」と云ひつゝ、親子とも其場を立退きしと云ふ。

是等は全く其親の教へ宜しく、其娘も之をよく心得て、平日の心掛よき処より斯かるをりに臨みぬれども、其恥辱を受くる事なく、却つて諸人の目を驚かしぬるに至る。士は申すに及ばず、其家に生れぬる者は、女たりともかく有るべき事なり。公家侍には珍しきことなりとて、其評判高かりし。此親子に殺されし奴等も、定めて主人あるべし。此者共の大白癡(たはけ)なるは論なしと雖も、かゝる者共を召仕ひぬる其主人たる者の、大馬鹿なることを思遣るべし。

 


「堂上侍と二條城詰侍」その1/その3
「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

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