Я[大塩の乱 資料館]Я
2004.1.2

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

金沢の敵討 その5






当四月の事なりしが、東御奉行の指図にて、北新地三丁目に在る所の薬師堂を猫間川へ引移す。之にて人寄せをせんとの思付きなりと云ふ。元来此薬師は堀江に在りぬるを 此薬師如何なる故にや、虎薬師と云ふ。年来掘口にあれども格別之を信ずる者なし。北の新地近来至つて淋しく、遊処立行き難き様子なる故、之にても引受けなば相応に参詣人も有りて、自ら所の賑ひにもならんかと、人家を取払ひ暴に薬師堂を建立し、娼婦等大勢群れ集ひ、囃子・練物等にて仰山になして連れ来りしが、よく\/不徳の薬師と見えて、一向に参詣する者も稀にして、処の繁昌どころにてはなく、処の厄介物なりし。三四年已前此処へ移せしなり。

又御奉行より肥後の屋敷へ御頼にて、熊本の清正公を猫間川へ勧請有る。六月廿二日屋敷よりして猫間川へ送る。之は肥後の旅宿屋松屋何某とやらん云へる者の家に持伝へたる木像なりと云ふ事なり。

清正は、太閤秀吉公股肱の一人にして、諸人能く知れる処なり。此度鳳城の南へ勧請せらるゝ事、彼神霊も嘸満足なる事なるべし。是全く生前に智仁勇の三徳を兼備へしが故なり。

比人の生前家中へ被申出し箇條書左の如し。

 









   大身小身に限らず侍共可覚悟條々

一、奉公の道油断すべからず。朝寅刻に起き候て兵法を遣ひ、食を喰ひ、弓を射、鉄炮を打ち、馬を可乗候。武士の嗜能き者には別して加増可遣候事。

一、慰に可出存候はゞ、鷹野・鹿狩・角力、斯様の儀にて可遊山事。

一、衣類の事、木綿・紬の間たるべし。衣類に金銀を費し、手前不成旨申者可為曲事、不断身上相応に武具を嗜み、人を可扶持、軍用の時は金銀可遣候事。

一、平生傍輩附合客一人、亭主の外咄中間敷く候。食は黒飯たるべし。 但、武芸執行の時は多人敷可出合事。

一、軍礼法侍の可存知事、不入事美麗を好む者可為曲事候事。

一、乱舞方一円停止たり。太刀を取るは人を斬らんと思ふ。然る上は万事は一心の置き処より生ずるものに候間、武芸の外乱舞稽古の輩可加切腹事。

一、学文の事可入精。兵書を読み忠孝の心掛専要たるべし。詩・聯 句・歌を詠む事停止たり。心華奢風流に成りて弱き事に存候へば、 いかにも女の様に成るものにて候間、武士の家に生るゝよりは、太刀・刀を取つて死する道本意なり。常々武道の吟味をせざれば、潔き死は仕憎き者に候間、能々心を武に極む事肝要に候事。

    右條々昼夜可相守、若右之箇條難勤と存輩於有之者、暇を 可申。速に遂吟味男道不成者の印を付、可追放事不可 有疑、仍如件。

            加籐主計頭清正在判
                 侍中

右の如き三徳を兼備へし名将にて、諸人其霊を尊び、神と崇めぬる 程の人なれども、其子広忠至つて愚人にして、其家滅亡するに至る、可惜事なり。

 


「金沢の敵討」その4/その6
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