当戌六月二日九つ時頃、脇坂中務大輔御表御門潜りの方より、婦人一人素足にて駈込み、「主人一命に掛り候大事、御助け可被下候様奉頼上候。委細は口上にて可申上候へ共、先づ荒増は願書に相認め候由にて、西の内紙にて書認め、上包美濃紙折懸にて持参仕候に付、先例の取扱、自分参上の間へ入置休息申付け、番人其外諸事手当御座候。極内願の趣は、主人先々代出雲守様御嫡子織部様、公儀御目見も相済み御勤の処、年過ぎて御死去被成候に付、御次男大学頭様を以て御嫡子に被成、先代山城守様と申候処、御実子様御二方迄御座候へ共、是を差置き御舎兄様への御孝心の儀に被思召、右織部様御子を以て御順養子に被成候処、無程御家督御譲り、山城守様も御隠居に御座候。当近江守様は如何思召候哉、御養父山城守様御実子御二方御懇にも被為在候へ共、皆廃人迚何の御沙汰も無之、御実子を以御嫡子に御願可被成御内存にて、両三年以前 内工相催し、松平伯耆守様御家老河村又左衛門殿を以て内望相催候へ共、兎角御隠居山城守様御部屋おほの殿事不承知にて、品々理を尽し御諌め被成候事故、御内巧の妨に相成候迚、御勝手向に事寄せ、御在所丹波国柏原表へ追登せ候思召に有之候処、此儀は難渋の由にて、此度は権威を以て押して可申迚、伯耆守様御下地なれば、来春正月中には早々御国元へ罷登り可申由、若又及故障候はゞ、首に縄を付け候ても引立可申由、厳密に被仰渡候段、無是非も仕合、全く柏原表へ追登せ候後は、非業の死亡も可仕。眼前の様子内々風聞承り候上は、主家の大事・主人の存亡、不容易企、寝食不被仕、卑女の身分にて対御上恐多く奉存候へ共、不得止事御訴訟奉願候。
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