Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.7.2/2003.11.14修正

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

大塩一件落著 その6






               橋本町一丁目市五郎店
                       冷 月

 其方儀於大坂表不容易企致す大塩平八郎に一味致、市中放火及乱妨後
 姿を替逃去り、河州弓削村七右衛門利三郎とは不存共、同人別善と
 名乗り、勢州垣鼻村海会寺所化剛嶽同道、尾州出生旅僧の由申偽罷越
 候節は、以前平八郎其外徒党の者共人相書を以て御尋の触渡も有之上
 は、別て身元をも可相糺処、右両人任申数日止宿為致、其上利三郎病
 死致すに付取置方の儀、剛嶽相頼迚弟子の趣に申成、菩提寺へ葬遣す
 始末、不埒に付、押込申付る。

          名主源七代
              祐助 市五郎 次兵衛 長兵衛

 其方共儀大塩平八郎不容易企一味の者共、人相書を以て御尋触渡も有
 之上は、別して人別改可入念処、平八郎徒党に加り、追つて姿を変へ、
 別善と名乗る河州弓削村七右衛門利三郎外一人を、町内冷月方に数
 日差置せ不存罷在候段、畢竟心附方等閑故の儀、右始末一同不埒に付、
 源七急度叱り、市五郎外四人は叱り置く。






                       小船吉藏

 其方義、大坂町奉行組与力大塩格之助方奉公中、同人養父平八郎不容
 易企致儀は不存共、同人儀門弟共を集め、折々及密談を不審の儀と乍
 存其儘打過ぎ、其上平八郎等徒党発起の節病気にて打臥居候処、傍輩
 木八罷越し、平八郎出陣に付早々に可立退旨申聞驚、同処鈴木町桝右
 衛門後家とみ方へ立退忍罷在るなれ共、被召捕吟味可受も難計、気遣
 敷存る迚江戸表へ相越し、右次第は押隠侍奉公致罷在る始末不届に付、
 江戸払申付くる。但し御構場処徘徊致間敷候 



                       恵 隆

 其方儀大坂町奉行組与力、大塩格之助門前通る節、同人養父平八郎施
 行差出候由にて、多人数立入候を見受け、困窮の折柄同様施行可受と
 存じ立寄候処、俄に門を閉ぢ刃携ふる侍十七八人立出、大坂市中の者
 討亡候間加勢可致。不承知ならば可切殺旨申聞候迚、及乱妨儀はなく
 共、仔細も不存人数に附添歩行、共上勢州山田妙見町喜兵衛方止宿の
 砌、泊り合せる同国矢川村有作便用に相越跡にて、同人処持の金子入
 有之紙入取隠、有作に被見咎盗共始末不届に付、入墨放申付る。 




 




                  忠兵衛 八右衛門

 其方共義、先達て大坂表より罷越身寄小船吉藏、大塩格之助方に奉公
 致居り、同人養父平八郎徒党及乱妨節病身に付逃去、其後忍帰る儀は
 不存共、久々にて罷越ならば篤と身分相糺世話可致処、身寄の□ある
 迚、銘々受人人主に相立ち、武家方へ奉公住為致る始末不埒に付、両
 度共急度叱り置く。


大塩の乱の関係者一覧


「大塩一件落著」その5その7
「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ