Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.5.26

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その18

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

中篇 学説及教法
 第三章 致良知(2)
管理人註
   

 右は天地の徳性、我が方寸に宿つて一知となり、良知となる。吾人が 独りを慎み、人欲をして方寸を塞がしめずば、是が致良知となるのであ る。中斎は又た周濂渓が太極図説に於て、万化の基として「無極の真」 といふ語を用いたるにつき、此語を借りて良知を説明した。            ○ ○  無極の真、別名之を虚霊といふ。虚霊の人に賦する、之を精神といひ、                           ○ ○ ○ ○  又神明といふ。不学不慮にして固有なり、故に別名を良知良能といふ。  其の良知良能は、乃ち天地易簡の知能と本と一物にして、即ち無極の  真なり。  右は、良知は心の精神とも神明ともいふ。即ち天地易簡の知能其物に して、人能く良知の障蔽を去り、良知の体を完うせば、天地易簡の徳と 合致す、之を天人合一といふのである。されば中斎は又た、良知を世界 の実在と見、「良知は天を生じ、地を生じ、仁を生じ、義を生じ、礼義 を生ずるの主宰なり」といふて居る。猶王子が伝習録に「良知は造化の 精霊、天を生み地を生み、鬼神を生む」といへるに一致する。  更に箚記に見えたる致良知の説を左に掲ぐ。  良知は各々具備すること、地中の水の如し、有らざるなし。之を致す  の難きは、水に逆ふ舟の如し、惰れば則ち退いて進まず、荀子は之を  致すの難きを見て、遂に性を悪といふ。孟子は有らざるなきを見て、  性を善といふ。性善の説、確乎易ふ可らず、然れども之を致さゞれば、  視聴言動、皆道を離る、皆道を離れば、則ち果して人か抑々獣か、吾        まこと  れ荀説の世に孚とせらるを恐る、是故に、学者は志を立てゝ良知を致  さゞる可らず。  利欲紛拏の時に当り、「致良知」を以て学となす、実に迂愚に庶し。  而して之を舎いて性に復り、人となる道なし。  「致良知」の三字、其れ人を殺すの寸鉄か。  程朱没してより、陽明先生に至る、其間学者詞章文句中に沈溺し、未  だ嘗て頭を出す能はず、誠に憫むべし。先生起るに及び、学者始て天  日を見るを得たり。故に顧端文公 名憲成、端文は謚、明末大儒 曰ふ、  程朱没して記誦詞章の習熾んなり、天下に自心自性の反つて求むべき  ものあるを知らしめしは、王文成 陽明 なりと、誠なるかな此言や。  中斎の王子に堕喜するは、自心自性に反求する点に在る。そして自心 自性に反求すれば「致良知」に帰入する、「致良知」はやがて太虚の発 明主張となるのである。



『洗心洞箚記』(抄)
その7

























































顧憲成
(こけんせい)
1550- 1612
明代末期の儒
学者。字は叔
時、陽と号
す、諡は文端。
反政府的な一
大勢力をなし、
東林党と呼ば
れた。顧允成、
高攀龍らとと
もに「東林八
君子」のひとり
 


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