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太虚の説、古来儒者、之を説く者少からず、宋の横渠に至り最も之を
力説した。我朝中江藤樹、熊沢蕃山、皆之に論及す。而かも中斎に至つ
て最も甚大を極め、其学問の根柢信念の中枢となつた観がある。中斎、
初め仁を求め、中を求めた、曰ふ「仁者果為 何物 乎」と又曰ふ「中者
果為 何物 乎」と。既にして「執 中之難亦如 此、安 仁之難亦如 此。
是無 佗。以 太虚 故也」と発悟した。中と云ひ、仁と云ふ、其本体は
太虚である、太虚を悟らずば、中も仁も語る可らずと云ふのが中斎の信
念である。
太虚とは何ぞ。中斎は曰ふ。
太虚は形無くして而して霊明なり、万理万有を括して播賦流行す。人
之を稟けて以て心と なす、心は即ち虚にして霊なり。中是に於てか
存り、仁是に於てか存す、而て万事出づ。故に横渠張子曰ふ「虚は仁
を生ず」と、東城林子曰ふ「中は我の本体にして、我の太虚なり」と。
故に中と仁との由て然る所を悟らず、而て謾に中を執り仁に安んずる
の業に従事せば、則ち其源を知らずして斃るゝ者、蓋し尠からず。
儒門空虚聚語自序
右は中斎の太虚に対する信念にして、中斎が太虚学に入る径路も此に
窺はれる。太虚とは宇宙の霊明である、形無きを以て虚といふ、而かも
普通相対の霊にあらずして、陽明其物である、故に太虚といふ。万理万
有は茲に出る、人は此を稟けて心となす、故に心も亦虚にして霊である。
虚にして霊なれば、中も仁も其処に具存す、故に人は其心を太虚に帰せ
しめねばならぬ、之を「帰太虚」といふのである。心苟も太虚に帰せず
して中を求め、仁も求むるは水を尋ねて源を知らざる如し、彷徨迷惑、
斃れざるもの少しといふのである。
中斎快心の著、洗心洞箚記は、半ば太虚の宣伝書なるかの感がある。
開巻第一項から左の如くいふてある。
天は特に上に在つて蒼々たる太虚のみにあらず、石間の虚、竹中の虚
と雖、亦た天なり、況や老子の云ふ所の谷神おや。谷神とは人心なり、
故に人心の妙は天と同じ、聖人に於て験す可し、常人は即ち虚を失ふ、
焉ぞ之を語るに足らんや。
是は天を以て太虚を表明したのである。天は頭上の天のみと思ふ可ら
ず、石間の虚も、竹中の虚も天である。即ち亦た太虚は在らざる所なく、
充たざる所なきを知るべし。老子の谷神も、谷の天、谷の太虚を指した
ので、即ち人心である。此の人心の妙を全うするのが、聖人にして、之
を失ふのが常人だといふのである。
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『洗心洞箚記』(抄)
その8
稟(う)けて
『洗心洞箚記』(本文)
その2
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