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気質変化の説は、張横渠に見ゆ、曰く「為学大益。在自求変化気
質」と。朱子は性を本然と気質とに分ち、気質には悪ありと見る、故
に気質を変化することは朱子学に於ては、重要の教説となる。王子は気
質を悪と見ず、剛性の人は剛的に、柔性の人は柔的に修養せば可なり、
要は人欲を去るに在りと見る。故に殆ど気質変化に論及せず。中斎は気
質を見ること稍王子と異なり、王子の謂はゆる客気勝心を寧ろ気質と見
たやうである。其言に曰ふ、
吾輩は、心の本体、謂はゆる至善、謂はゆる中、謂はゆる太極なるも
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のを見んことを要す。然らば障翳する所の気質は、宜しく先づ変化す
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べし、然らずば徒学空談なり。
それ気質を本体の障翳と見るならば、猛然として之を変化せねばなら
ぬ。此に至れば、中斎の気質は、即ち王子の人欲と同一に帰するのであ
る。故に又曰ふ、
常人方寸の虚は、聖人方寸の虚と同一の虚なり、而して気質は則ち清
濁昏明、年を同じうして語る可らず。方寸の虚は、便ち是れ太虚の虚
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にして、太虚の虚は便ち是れ方寸の虚なり、本と二つなし、畢竟気質、
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之を牆壁するなり。故に人は学んで気質を変化せば、則ち聖人と同じ
きもの宛然として布照耀し、包涵せざるなく、貫徹せざるなし。嗚
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呼気質を変化せずして学に従事する者は、其の学ぶ所、将た何事ぞ陋
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と謂ふべし。
気質変化の説は、中斎に在つては、既に太虚の條に於て言へる如く、
自己の性向よりして自己を完成すべく、緊切の手段であつたらう。従つ
て又た中斎着力の処を窺ふべきである。
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『洗心洞箚記』(抄)
その9
障翳
(しょうえい)
覆いかざすこと
『洗心洞箚記』(本文)
その11
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