Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.5.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その21

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

中篇 学説及教法
 第四章 太虚(3)
管理人註
   

 さらば太虚と良知との関係は如何、其は太虚の霊明の処を良知と称す るのである。中斎曰ふ、  夫れ良知は、只是れ太虚の霊明のみ。  又曰ふ、  真の良知は他にあらず、太虚の霊のみ。  さらば無形より太虚といひ、霊明より良知といひ、本と一物の二称で あるのだ。然らば王子、既に良知を提唱せり、中斎、更に何の故に太虚 を力説したであらうか、そは人々の性格と其人得力の処、如何に依ると 思ふ。中斎は本と至ク為の人、其弊や作為執持に陥り易い、其の性向 を匡正するに於て、辛苦尋常に絶するものがあつた、是に於て太虚に悟 入したのであらうと思ふ。  然らば吾人は如何にして太虚に帰入すべき、中斎は其の手段としては 曰ふ、            ○ ○ ○ ○  心が虚に帰するは、誠意慎独より入るべし。  又曰ふ、  心太虚に帰せんと欲する者は、宜しく良知を致すべし。良知を致さず  して太虚を語る者は、必釈老の学に陥るべし。恐れざる可けんや。  又或人が、子の太虚は張子の正蒙 張子の著 より来るや否やと問へる に答へて曰ふ、           ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  吾が太虚の説は、致良知より来る、正蒙より来らず。  右の語なる誠意慎独は大学の教である、中斎は此より太虚に入るべし といふ。又た致良知は王子の教法である、中斎は致良知よりして太虚に 帰入すべしといふ。此処が中斎太虚説の大切な処であつて、徒に太虚に あれといふのでは無い、千辛万苦、良知を致して然る後、太虚に帰入し 得るといふのである。真に良知を致して他念なき極を太虚といふのであ る。従つて太処に帰するを消極的と誤解してはならぬ、積極進取の教で ある。之を坐禅凝念に求めずして誠意致良知に求む中斎は、此を以て自 家の空は仏家の空と同じからずと為して居るのである。中斎は太虚を古 経説に証して、論語の「子四つを絶つ、意なく必なく固なく我なし」を 引いて居る。此は如何にも心の虚霊を証説すべき適例であるが、次に論 語の左の二典を引いて居る、                              ○ ○ ○ ○  子曰く、我れ知るあらんや知るなし。鄙夫ありて我に問ふ、空々如た    り、我れ其の両端を叩いて竭くす。          ちか      ○ ○ ○ ○  子曰く、回やそれ庶いか、屡々空し。     ○ ○ ○  ○ ○  此の空々如と屡空とを心虚心空と説くは、敢て中斎に始らぬ。張横渠 曰ふ「仲尼叩両端而空空」と、明の丘瓊山曰ふ「聖心空空」と、王陽 明曰ふ「有鄙夫来問。其心只空々而已。未嘗先有知識以応之」と、 王龍渓曰ふ「空々原是道体」と。又「屡空」に就ては、論語の古註なる 何晏は「屡猶毎也。空猶虚中也」と曰ひ、程明道は「顔子屡空、空 心受道」と曰ひ、其他挙げ来れば一にして足らざるも、此れ皆牽強で あると思ふ。「鄙夫あり、我に問ふ空々如なり」といふ、此の空々如は 鄙夫に属し、田舎人の朴愚を表明せる辞と解するのが妥当である。又た 顔淵の「屡空」は、論語の下文に、子貢の貨殖の事がいふてあれば、顔 淵の場合も其窮乏を表示せる語ならん。後儒は自己の学問に忠実にして、 古典を誤解するの弊を免れず。王陽明が五経臆説を著はして、後日之を 焼棄せしは、誤解を恐れたのであらう。眼識ありと云ふべきである。



『洗心洞箚記』(抄)
その8






『洗心洞箚記』(本文)
その24




『洗心洞箚記』(本文)
その43





























『洗心洞箚記』(本文)
その34



















千辛万苦
さまざまの難
儀や苦労にあ
うこと














『洗心洞箚記』(本文)
その41





竭(つ)くす
 


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