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さらば太虚と良知との関係は如何、其は太虚の霊明の処を良知と称す
るのである。中斎曰ふ、
夫れ良知は、只是れ太虚の霊明のみ。
又曰ふ、
真の良知は他にあらず、太虚の霊のみ。
さらば無形より太虚といひ、霊明より良知といひ、本と一物の二称で
あるのだ。然らば王子、既に良知を提唱せり、中斎、更に何の故に太虚
を力説したであらうか、そは人々の性格と其人得力の処、如何に依ると
思ふ。中斎は本と至ク為の人、其弊や作為執持に陥り易い、其の性向
を匡正するに於て、辛苦尋常に絶するものがあつた、是に於て太虚に悟
入したのであらうと思ふ。
然らば吾人は如何にして太虚に帰入すべき、中斎は其の手段としては
曰ふ、
○ ○ ○ ○
心が虚に帰するは、誠意慎独より入るべし。
又曰ふ、
心太虚に帰せんと欲する者は、宜しく良知を致すべし。良知を致さず
して太虚を語る者は、必釈老の学に陥るべし。恐れざる可けんや。
又或人が、子の太虚は張子の正蒙 張子の著 より来るや否やと問へる
に答へて曰ふ、
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
吾が太虚の説は、致良知より来る、正蒙より来らず。
右の語なる誠意慎独は大学の教である、中斎は此より太虚に入るべし
といふ。又た致良知は王子の教法である、中斎は致良知よりして太虚に
帰入すべしといふ。此処が中斎太虚説の大切な処であつて、徒に太虚に
あれといふのでは無い、千辛万苦、良知を致して然る後、太虚に帰入し
得るといふのである。真に良知を致して他念なき極を太虚といふのであ
る。従つて太処に帰するを消極的と誤解してはならぬ、積極進取の教で
ある。之を坐禅凝念に求めずして誠意致良知に求む中斎は、此を以て自
家の空は仏家の空と同じからずと為して居るのである。中斎は太虚を古
経説に証して、論語の「子四つを絶つ、意なく必なく固なく我なし」を
引いて居る。此は如何にも心の虚霊を証説すべき適例であるが、次に論
語の左の二典を引いて居る、
○ ○ ○ ○
子曰く、我れ知るあらんや知るなし。鄙夫ありて我に問ふ、空々如た
○
り、我れ其の両端を叩いて竭くす。
ちか ○ ○ ○ ○
子曰く、回やそれ庶いか、屡々空し。
○ ○ ○ ○ ○
此の空々如と屡空とを心虚心空と説くは、敢て中斎に始らぬ。張横渠
曰ふ「仲尼叩両端而空空」と、明の丘瓊山曰ふ「聖心空空」と、王陽
明曰ふ「有鄙夫来問。其心只空々而已。未嘗先有知識以応之」と、
王龍渓曰ふ「空々原是道体」と。又「屡空」に就ては、論語の古註なる
何晏は「屡猶毎也。空猶虚中也」と曰ひ、程明道は「顔子屡空、空
心受道」と曰ひ、其他挙げ来れば一にして足らざるも、此れ皆牽強で
あると思ふ。「鄙夫あり、我に問ふ空々如なり」といふ、此の空々如は
鄙夫に属し、田舎人の朴愚を表明せる辞と解するのが妥当である。又た
顔淵の「屡空」は、論語の下文に、子貢の貨殖の事がいふてあれば、顔
淵の場合も其窮乏を表示せる語ならん。後儒は自己の学問に忠実にして、
古典を誤解するの弊を免れず。王陽明が五経臆説を著はして、後日之を
焼棄せしは、誤解を恐れたのであらう。眼識ありと云ふべきである。
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『洗心洞箚記』(抄)
その8
『洗心洞箚記』(本文)
その24
『洗心洞箚記』(本文)
その43
『洗心洞箚記』(本文)
その34
千辛万苦
さまざまの難
儀や苦労にあ
うこと
『洗心洞箚記』(本文)
その41
竭(つ)くす
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