|
中斎の精神が籠つた洗心洞箚記の刻本が出来た。中斎は其につき破天
荒の考を起した。其は一本を伊勢朝熊嶽の絶頂に燔いて天照太神に告げ、
又た一本を富士山の石室に蔵めて知己を後世に俟つといふのである。因
て天保四年七月十日、門人湯川用誉、窪田玄政の二人、及び家僮一人を
携へて大阪を発し、其の十七日を以て富士山頂に登り、一本を石室に蔵
めて素志を果した。此日山上に宿して、左の二絶を賦した。
テ ヲ ル ヲ テ ル ト
口吐太虚容世界。太虚入口又成心。
ト セバ
心与太虚本一物。人能存道只今乎。
只今乎の三字誤りあり、箚記の附録に見ゆる杉本祐憲の次韻に徴す
るに、結句の終り今の字を押韻せり、斯くて韻調ふ、乎は今の誤な
ること確かなり、上の二字知り難し、
ノ ハ ス ニ ヤ タ タ ケ ル
千年雪映千年月。況復紅輪未暁昇。
タゞ ホ ノ
下界祇今猶夢寐。枕頭暗々五更灯。
中斎が箚記の一本を富士石室に蔵め、一本を朝熊嶽頂に焼かんとする
心事は、頗る奇抜に似て居る。中斎は「朱子文集奉納伊勢豊宮崎林崎
両文庫跋」に曰ふ、
陋撰洗心洞箚記成焉。而社弟輩刻諸家塾。後素欲以其一本燔伊
○ ○ ○ ○ ○ ○
勢朝熊嶽絶頂以告天照太神。而一本蔵富士之石室以俟人。是乃
有意在而非人所知也。
中斎は是れ乃ち意の在るあり、他人の知る所に非ずと謂へるからは、
此の一事吾人の擬議を容さぬものがある。世人或るは之を一笑に付する
であらう、然かし常人の一笑は哲人の一哭を止むることは出来ない。
|
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その59
燔(や)いて
|