Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.7.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その38

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

中篇 学説及教法
 第十七章 洗心洞箚記と神宮文庫
管理人註
   

 中斎は、更に箚記一本を朝熊嶽山頂に燔て天照太神に告ぐる所あらん                 お し               ひろのり としたが、是より先き伊勢山田の御師職をつとむる足代弘訓が大阪に遊 び、中斎を訪ふた、中斎は語るに前意を以てした。弘訓は神宮に豊宮崎、 林崎両文庫あることを説き、勧むるに奉納の事を以てした、中斎之を首 肯し、因て富士下山の後、参州吉田港に出で、渥美湾を航して山田に至 り、弘訓の家に寓し、箚記各一部を両文庫に納めた。  中斎は此機を以て両文庫の蔵書を拝観したが、両庫とも朱子文集、古 本大学、伝習録の三書なく、又た豊宮崎文庫には陸象山全集なく、林崎 文庫には王陽明全集なきを見て、之を奉納せんことを約し、八月九日、 大阪に帰り、約を践んで朱子文集、古本大学、伝習録を両文庫に、陸象 山全集を宮崎文庫に、王陽明文録抄を奉納した。毎書に中斎の跋文があ る、後ち門人其跋を聚め、中斎の序を請うて一本となして、之を刻した、 「奉納書籍聚跋」が是である。其中朱子文集の跋が、最もよく奉納の旨 が述べられて居る。九月、右の奉納を宰領した門人が使命を終へて帰阪 した、中斎之を喜び、足代弘訓に謝状を贈つた、其中に言ふ、                             ○ ○ ○ ○  聖学之要者、此間申上候箚記之別跋にて御学可下候。書籍も無   ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ○  之以前、神聖人之御心に尋候はゞ、後世儒者の申候なる事は無之、   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  簡易平坦のまゝ相覚候。此処看破致候は、言語文字の力にても無之、  奇妙なるものと被存候。只鄙人之所望者、此世之人に誉且誹を受度            ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○  とは更不存、夫れ故太神宮へ奉し、富嶽の神へ献し。歿後に知己を   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  待而已に御座候、この躯殻有之て以来、人々異存有之ように御座候。  希ふ所は此度の大変にて、人鬼夢覚め候て、七重鉄関撞破り、天の虚  明を御了得候はゞ、真の致知格物、於世間万変浮雲過太虚、  亦何の難きこと之れ有らん云々。(九月十日)  右は頗る中斎の心術信念が窺はれるのである。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その59
 


『大塩中斎』目次/その37/その39

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