Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.7.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その42

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

中篇 学説及教法
 第十九章 洗心洞箚記と佐藤一斎(3)
管理人註
   

  三、其人測る可らず  一斎の中斎に復書せる俗牘は、真に委曲を尽して居る。但だ俗牘を以 て答へたのは如何なる理由であらうか、文中には「人事紛忙、且老境精 力薄く相成候間、俗通書不取敢御報申述候」と断つてある。然かし此 は一面の理由で、更に理由があつた、其れは天保八年の事変後、一斎は 深く其の暴乱を悪んで「書大塩後素簡後」と題して左の如き一文を草 し、其人測る可らざる所あるを以て、俗簡を以て答へたといふて居る。 さらば前のは表面の辞令にて、後のは詐らざる告白であらうか。其文左 に、  此巻係浪速人大塩後素所寄真文書。余嘗聞其名。而未其人。             ノ  往年渠来江都。乞謁故林祭酒述斎先生。爾時余舎在林氏邸内。                          ノ ル  渠日過舎前而不入。人或問其意。渠答謂。此行為林氏。  不藤氏。故不入也。其言似理。而意則可怪也。渠既                      ○ ○ ○ ○  ○ ○   ○ ○  帰。作此書之。義理文詞並有見。然余答以俗簡。而不   ○  ○ ○    ○  ○ ○ ○ ○   ○  ○ ○ ○  以漢字。以其人有測也。云々。嗚呼塩賊、何前日之賢  才如此。而後日之狂暴如此也。乃知人心惟危。道心惟微。可懼之  甚也。 愛日楼全集第三十巻  右は短文ながら、商量すべき幾多の事項を含む。先づ中斎江戸に入つ て林祭酒を訪うたか否かである。此件は前編にも疑うて置いたが、他に 確証がない限りは、何れとも定められぬ。然かし一斎は其の江戸に来り しを信じて、門前を過ぎて入らぬ態度に其心術を疑ふたとせば、此も無 理からぬことである。従つて此度の乞教に対し、俗牘の略式を取つたと いふのが、此の書後文の主旨である。是は其人の信念であるから、他よ り呶呶する限りで無い。最後に塩賊と云ひ、狂暴と云ふは如何、中斎を 賊とするは、当時殆ど天下の総てであつた、独り一斎に怪しむ必要はな い。又た人には各々立場と、性格の相異がある、一概に一斎を咎むるの は允当で無い。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その57




































商量
(しょうりょう)
いろいろ考えて
推しはかること











呶呶
(どど)
くどくど言う
こと

允当
(いんとう)
理にかなうこと
 


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