Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.7.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その51

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

後編 兇年の惨状と猾吏驕商の膺懲
 第九章 積出米制限と献策
管理人註
   

 本年の凶作は全国に及び、大阪の在米は日に減少した。そこで跡部奉 行は遂に他所積出の制限令を発し、大阪より毎日積出額を次の如く定め た。  京都 五百二十石  伏見 四十石  堺  五十石より六十石までを限る  此の積出米制限は古来凶作の時実施したる実例あるも、自ら程度があ る。従来京都へは二千石づゝ送つて居つた、其れを五百二十石に減ずれ ば、四分の一の減額に当る。其他の地方も此例に漏れずとせば、各地大 恐惶を起すこと知るべし。怨嗟の声が都鄙に満つるを致せるは勢の免れ ぬ所であつた。  中斎は之を憂慮して策を建てた、其れは大阪の米相場を特に引揚げて 各国の米麦雑穀を引寄せることであつた。奉行所に再三軒策したが、跡 部奉行は聴許しなかつたといふ。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その89
 


『大塩中斎』目次/その50/その52

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