本年の凶作は全国に及び、大阪の在米は日に減少した。そこで跡部奉
行は遂に他所積出の制限令を発し、大阪より毎日積出額を次の如く定め
た。
京都 五百二十石 伏見 四十石
堺 五十石より六十石までを限る
此の積出米制限は古来凶作の時実施したる実例あるも、自ら程度があ
る。従来京都へは二千石づゝ送つて居つた、其れを五百二十石に減ずれ
ば、四分の一の減額に当る。其他の地方も此例に漏れずとせば、各地大
恐惶を起すこと知るべし。怨嗟の声が都鄙に満つるを致せるは勢の免れ
ぬ所であつた。
中斎は之を憂慮して策を建てた、其れは大阪の米相場を特に引揚げて
各国の米麦雑穀を引寄せることであつた。奉行所に再三軒策したが、跡
部奉行は聴許しなかつたといふ。
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