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九月に入り、中斎は洗心洞に於て砲術演習を始めた。此は固より不慮
の用意に外なきも、明年の事変に之が非常に用立たうとは、中斎自身も
想像し及ばなかつたであらう。
当時玉造組同心に藤重孫三郎といひ、其子に良左衛門といふものがあ
り。孫三郎は中島流の砲術を以て名高かつた。中斎の養子格之助は少年
の時より其門に学んだが、中斎は此両人を洗心洞に講じて、格之助並に
門人中の有志に砲術を学ばしめた。明年の春には堺七堂ケ浜にて丁打を
行ふ手筈まで定めた。丁打とは砲術演習のことである。此時士風弛み、
武道廃たれ、外には夷警あり、又た近年凶作続き、各地不穏の聞へあり、
中斎は元来文武を励み、国家緩急の時、御用に立つを士人の本分と信じ
て居つた。されば近時の状勢を見て坐視する能はず、此に及んだのであ
らう。門下にて瀬田済之助、小泉淵次郎、渡辺良左衛門、近藤梶五郎な
ど砲術稽古に熱中する者も少くなかつた。
庄司義左衛門の話、
申九月より、格之助儀、砲術稽古相初め居候に付ては、来春に至り、
泉州堺七堂浜に於て、丁打為致度積に付、棒火矢細工、其外火薬之
手伝いたし呉候様、平八郎も申聞。私以前同所にて丁打いたし候義も
有之候間、頼之趣承知致し、秋以来御用透には毎々罷越し、右細工
手伝いたし遣候云々。猶又平八郎申聞候には、諸国異作にて、既に東
国筋西国筋にも百姓騒立候風聞有之、上方筋にも箇様の年柄故、油
断成り難く、右体之節は其筋の御役所、又は領主地頭より取鎮も可
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有之候得共、銘々にも其心掛無之ては臨時の御用に難相立。平八
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郎は当分隠居之身分とは乍申、門弟共引連、一方之防ぎ方致すべき
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所存にて備立心組致し、大筒火薬等も用意致置候儀に付、先備、中備、
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後備と三段に門弟を引分候列書相見せ候。 実録彙編
中斎の陰謀を云々するものあるは、他を誣ふるものであらう。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その88
『実録彙編』
その7
用透
(ようすき)
用事のないこと
誣(し)ふる
事実を曲げて
言う
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