Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.7.31

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その53

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

後編 兇年の惨状と猾吏驕商の膺懲
 第十一章 江戸廻米
管理人註
   

 大阪奉行は在米維持に血眼であつた際、皮肉にも十一月廿九日、幕府 から江戸廻米の命を伝へて来た。跡部奉行は従来積出制限を励行した手 前、表面を糊塗して、在々有合米の儀は、江戸積出の件、別段差支えな き旨を諭示した。「在々」とは市外を意味するのである。それのみか奉 行は市外に於て却て江戸廻米の助勢をなしたことは、醜体の至りであつ た。当時十一代将軍家斉退老の期迫り、世子家慶将軍襲職に関する諸般 の式礼を控へ、幕府も米穀を聚めにかゝつたので、跡部奉行は二重政策 を案出して幕府に迎合した。左れば中斎が「天子御座所の京師へは米を 限りて、其余は一粒の余分を送らず、却て江戸表へは分外に廻米する、 是れ如何なる私ぞや」と憤慨した所以であつた。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その91











大塩檄文
 


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