Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.8.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その54

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

後編 兇年の惨状と猾吏驕商の膺懲
 第十二章 開廩の献策と奉行の無情
管理人註
   

 十二月に入つて、米価愈々騰貴し、大阪にて小売白米が一升二百文に      ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 上つた。元来二百文と云へば、当時寛永通宝二百個に当る、先づ今日の 弐拾銭に相当するも、古今の金位に相違があるから、一概には言ひ難い。 又た白麦百五十二文、大豆百二十四文、油一升五百八十文、酒一升二百 八十文となり、市民餓死する者続出した。是に於て中斎は養子格之助を 以て跡部奉行に上言せしめ、早く官廩を開いて民の餓死を救はんことを 請ふた。奉行は諾して実行せぬため、七八日後、再び之を促した。奉行 曰ふ、まだ城代に議する遑なく、尚ほ数日を待てと四五日は待ちて三た び追請せしめた。奉行曰ふ、「昨日此糊塗を城代に謀りしに、意外の障 りあり、其故は、来春将軍退老し、世子襲職の事あり、近日莫大の廻米 を申し来る筈、且つ来秋の米の出来も恃み難し、妄りに官廩を開かば役 料扶持米にも差支を生ぜん、扶持米の事、断念せよ」と。格之助驚いて 之を中斎に報じた、中斎、長太息して曰ふ「民の父母たるもの、無情此 に至る、万策尽く」と。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その97












(いとま)
 


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