Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.8.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その58

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

後編 兇年の惨状と猾吏驕商の膺懲
 第十六章 蔵書を鬻いで施与
管理人註
   

 中斎は予ねて蔵書に富んで居た、此に由つて大学刮目や空虚聚語のや うな著書が出来たのである。今や最後の壮挙も迫つた。多年精力の籠つ た書だ、之を鬻いで飢民の一日を療し得べくば、何か吝しまん。乃ち二 月二日、書賈河内屋善兵衛等数人を呼んで言ふ、「擁書の楽は民の凍餓 に代ふ可らず、因つて一切の蔵書を売つて施与の資となさんと欲す」と、 喜兵衛等感激して、凡そ五万巻の書を売つて金六百五十両を獲、左の口 上書を大阪三郷外三十三ケ町村に配布した。     口 上        近年打続米穀高直に付、困窮之人多く有之由にて、当時御隠退大塩  平 八郎先生、御一分を以、御所持之書籍類不残御売払被成、其代  金を以、困窮之家、一軒前に付金一朱ゞゝ、無急度都合数一万軒へ  御施行有之候間、此書付御持参にて、左の名前の所へ早々御申請に  御越し可下候。   但し二月八日、安堂寺町御堂すじ南へ入、東側本会所へ七ツ時迄に   御越可成候。                   河内屋 喜兵衛                   同   新次郎                   同   紀一兵衛                   同   茂兵衛  学者が蔵書を鬻いで窮民を救済するは、此が嚆矢であつた。青天霹靂 史 高知県島本仲道著 といふ書に之を記して云ふ。  期に及ベば陸続来て、施行所門前に雲簇し、饑民は恰も轍鮒の水を得  るが如き思ありと、歓呼の声、洋々として市街に盈てり。之よりして  平八郎の名声益々高く、其施与を受けたる者と受けざる者とに論なく、  皆其徳を尊崇して神の如くなるに至れり。跡部山城守は之を聞て嫉悪  の情に堪へず、乃ち格之助を奉行所に召喚し、私名を売らんとして猥  に施与を窮民に為し、上司を蔑するの罪軽からざる旨を達して、譴責  を加ヘたり。  或は中斎の此挙を以て民心収攬の術となすものがある、中斎に在つて は民心収攬の必要は無い、此の如きは中斎を誣ふるものであらう。  当時の施与は、一朱づつを一万戸に施した。之を其米相場に当つれば、 一朱は凡そ三百六十五文に当り、白米小売市場相場一升二百文とすれば、 一朱銀にて白米二升余を買ひ得るのである、確かに窮民一家一日以上の 生命を延ばすことができる。此が学者蔵書の余滴とすれば更に尊いので ある。


鬻(ひさ)ぐ
売る

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その103


善兵衛は
喜兵衛



























義次郎は
新次郎








島本仲道
『青天霹靂史』
その15



盈(み)てり

















誣(し)ふる
事実を曲げて
言う
 


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