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中斎は予ねて蔵書に富んで居た、此に由つて大学刮目や空虚聚語のや
うな著書が出来たのである。今や最後の壮挙も迫つた。多年精力の籠つ
た書だ、之を鬻いで飢民の一日を療し得べくば、何か吝しまん。乃ち二
月二日、書賈河内屋善兵衛等数人を呼んで言ふ、「擁書の楽は民の凍餓
に代ふ可らず、因つて一切の蔵書を売つて施与の資となさんと欲す」と、
喜兵衛等感激して、凡そ五万巻の書を売つて金六百五十両を獲、左の口
上書を大阪三郷外三十三ケ町村に配布した。
口 上
近年打続米穀高直に付、困窮之人多く有之由にて、当時御隠退大塩
平 八郎先生、御一分を以、御所持之書籍類不残御売払被成、其代
金を以、困窮之家、一軒前に付金一朱ゞゝ、無急度都合数一万軒へ
御施行有之候間、此書付御持参にて、左の名前の所へ早々御申請に
御越し可被下候。
但し二月八日、安堂寺町御堂すじ南へ入、東側本会所へ七ツ時迄に
御越可被成候。
河内屋 喜兵衛
同 新次郎
同 紀一兵衛
同 茂兵衛
学者が蔵書を鬻いで窮民を救済するは、此が嚆矢であつた。青天霹靂
史 高知県島本仲道著 といふ書に之を記して云ふ。
期に及ベば陸続来て、施行所門前に雲簇し、饑民は恰も轍鮒の水を得
るが如き思ありと、歓呼の声、洋々として市街に盈てり。之よりして
平八郎の名声益々高く、其施与を受けたる者と受けざる者とに論なく、
皆其徳を尊崇して神の如くなるに至れり。跡部山城守は之を聞て嫉悪
の情に堪へず、乃ち格之助を奉行所に召喚し、私名を売らんとして猥
に施与を窮民に為し、上司を蔑するの罪軽からざる旨を達して、譴責
を加ヘたり。
或は中斎の此挙を以て民心収攬の術となすものがある、中斎に在つて
は民心収攬の必要は無い、此の如きは中斎を誣ふるものであらう。
当時の施与は、一朱づつを一万戸に施した。之を其米相場に当つれば、
一朱は凡そ三百六十五文に当り、白米小売市場相場一升二百文とすれば、
一朱銀にて白米二升余を買ひ得るのである、確かに窮民一家一日以上の
生命を延ばすことができる。此が学者蔵書の余滴とすれば更に尊いので
ある。
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鬻(ひさ)ぐ
売る
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その103
善兵衛は
喜兵衛
義次郎は
新次郎
島本仲道
『青天霹靂史』
その15
盈(み)てり
誣(し)ふる
事実を曲げて
言う
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