Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.8.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その59

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

後編 兇年の惨状と猾吏驕商の膺懲
 第十七章 膺懲の方略決定
管理人註
   

 二月十五日夜、中斎は結盟の同志を洗心洞に会して、期日及一般方略 を定めた。是より先き西町奉行堀伊賀守利堅が入府して任に就いた、例 として新奉行が就任すれば市中を巡見する。其れが十九日と発表され、 其日の申刻 午後四時 両奉行とも大塩邸と南北に道を挟んで居る浅岡助 之丞の邸に休息することに定つた。中斎は此時を以て大事を挙ぐる好機 とし、右の際、一挙に両奉行を撃殺し、其勢に乗じて大阪城に打入るに 在つたやうである。又た此日は恰も仲丁 中の丁の日 にて、洗心洞にて 盛大に春季釈菜 孔子の祭 を行ふ例日に当つて居るので、荘厳に祭典を 卒りて叙々壮挙に取り掛かるといふが、中斎の決意を堅めたる一部であ つたかも知れぬ。                              ○ ○  此の期日に就ては、洗心洞論伝 洗心洞詩文編者の筆 には、四月十九                                 日東照宮祭日を以て発することに定めたが、密訴者があつた為めに、二 月の十九日に早めたといふて居る。此の論伝は明治中の最も後出の書に て、其説の拠る所審ならざれば、今取らず。又た方略に就ては「平山助 次郎口書」といふものに曰ふ、  同 二月 十五日夜、渡辺良左衛門罷越、堀伊賀守着阪に付、来る十九  日同人并に山城守 東町跡部奉行 同道にて、与力同心屋敷巡見之節、  飛道具を以て右両人 西奉行 とも討取、城内へ致乱入候積之旨申聞、  其節初て大切之企致候に紛なき次第承知致候云々。  右平山は事前の密訴者である。其口書に、十九日、両奉行を討取り、 城内へ乱入云々とあるは蓋し信ずべきものにて、此がこの一挙の一般方 略であつたやうである。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その106
 


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