Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.7.14

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その8

雄山閣 編

『類聚伝記大日本史 第10卷』 雄山閣 1936 収録

◇禁転載◇

 三 平八郎の学風 (1)

管理人註
   

 平八郎は実践躬行を務め、子弟を教導すること極めて厳格であつた。故 に子弟のその感化を蒙むること尠少でなかつたことは云ふ迄もない。その 鍛錬の一班を知るよすがとして洗心洞盟約書に眼を注がう。云く、  聖賢の道を学んで以て人たらんと欲せば、則ち師弟の名、正さゞるべか  らずなり。師弟の名正しからざれば、則ち不善醜行ありと雖も、誰れか  敢て之を禁ぜん。故に師弟の名誠に正しければ、道其間に行はる。道行  はれて善人君子出づ。然らば則ち名は問学の基なり、正さゞるべけんや、  某固陋寡聞と雖も、一日の長を以て其責に任ずれば、則ち師の名を辞す  るを得ず。而して其名の壊ると壊れざるとは、大率下文条件の立つと立  たざるとにあり。故に盟を入学の時に結び、以て予め其不善に流るゝの  弊を防ぐ。忠信を主として聖学の意を失ふべからず、若し俗習の為めに  率制せられて廃学荒業、以て奸細淫邪に陥らば、則ち其家の貧富に応じ、  其告ぐる所の経史を購ひ、以て出ださしむ。其出だす所の経史、尽く之  れを塾生に附す。若し其本人にして出藍の後、各々其心の欲する所に従  はゞ可なり。  学の要は孝弟仁義を躬行するにあるのみ。故に小説及び異端、人を眩す  るの雑書を読むべからず。若し之れを犯さば、則ち少長となく、鞭若  干。是れ則ち帝舜を教刑となすの遺意にして某の創する所にあらざる  なり。  毎日の業、経業を先んじて、詩章を後にす。若し之れを逆施せば、鞭  朴若干。  陰に交を俗輩悪人に締び、以て登楼縦酒等の放逸を許さず。若し一たび  之れを犯せば、則ち廃学荒業の譴と同じ。  一宿中、私に塾を出入するを許さず。若し某に請はずして以て擅に出づ  れば、則ち之れを辞するに帰省を以てすと雖も、敢て其譴を赦さず、鞭  若干。  家事変故あらば、則ち必ず諮詢す。之れに処するに道義あるを以ての故  なり。某、人の陰私を聞かんと欲するにあらざるなり。  喪祭嫁娶及び諸の吉凶、必ず某に告げ、与に其憂喜を同うす。  公罪を犯せば、則ち族親と雖も、掩護すること能はず。之れを官に告げ  て以て其処置に任ず。願くば們小心翼々、父母の憂を貽すること莫れ。  右数件忘るゝ勿れ、失ふ勿れ、此れ是盟を恤へよ。  秋霜烈日の如き厳格なる陶薫に、平八郎はその人の為人が窺はれると共 に、その学に忠実なる状を察知し得よう。このことは、洗心洞の学堂を見 れば亦明かである。則ち学堂内に、天成篇の一文を貼附し、之に附記して 曰く、  銭緒山以天成篇、掲喜義書院、示諸生、吾亦謹書掲洗心洞、弟  子日読而心得焉、則猶躬親学於陽明先生、 と。又学堂の西掲には王陽明が龍場の諸生に示せる立志、勧学、改過、責 善の四篇を挙げ、学堂の東掲には、呂新吾の学に関する語十七條を挙げ、 以て門生日夜の訓戒となした。始めて入学する者があれば、平八郎は先づ 之れに「入吾門道、以忠信欺為主本、」の主意を告げ、塾中 にあつては必ず之を厳守し、若し守らなければ手打にすべしと云つたので ある。厳格なるスパルタ式教育方針と云はねばならない。



幸田成友
『大塩平八郎』
その187









































































井上哲次郎
「大塩中斎」
その16


「大塩平八郎」目次/その7//その9

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ