自己実現欲求と承認欲求は表裏一体
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「あなたはどんな人生が理想ですか?」と問われると、たいてい「生き甲斐をみつけて充実した人生を生きたい」といった自己実現を志向する答えが返ってきます。たしかにその通りですが、自己実現を達成することは周囲から認められることです。実は周囲から「認められたい」という欲求が背後で人を動かしているのです。これを承認欲求と言います。

自己実現心理学で有名なアブラハム・マズローは欲求の階層論という仮説を提唱しました。下位欲求が満たされると、もうそれにはあまり執着しなくなり、上位の質の異なった欲求が現れてくるというものです。

@生理的欲求
A安全と安定の欲求
下位の2つは日本社会では捨象していいと思います。

結局、問題になるのは以下の3つです。

B所属と愛の欲求
C承認欲求
D自己実現の欲求

比較すればB<C<Dという位置づけができるということです。しかし、この3つに関してはBを卒業したからC、Cを卒業したからDというのではなく、渾然一体となっている、と見るのが妥当でしょう。承認欲求はCの高位に位置していますね。

自己実現を満たした場合でも承認欲求はなくなりません。たとえば自分の芸術作品を世に問えたとして、それを承認して欲しいという欲求は絶対について回ります。自己実現と承認は不可分の欲求なのです。こう考えると承認欲求は決して卒業できず、いかなる場合もついて回る極めて根源的な欲求であると言えるでしょう。

究極の自己承認
489



釈迦とかイエスは悟った結果、自己承認の言葉を残しています。

天上天下唯我独尊(釈迦)
わたしは道であり、真理であり、命である(イエス)

これは自分は偉いんだ、と言っているわけではありません。自分の生命は宇宙生命と一体であると観じた結果、自分の中の宇宙生命がそれぞれの肉体を借りて声を発した、ということです。おそらくは究極の自己承認でしょう。人間は悟ればここまで行き着く「可能性」だけは平等に持っています。

無条件の自己承認は凡人には難しいものです。ですから、何かの達成感をもとに自己承認をしようとします。たとえば、有名校に合格した、甲子園で優勝した、語学をマスターした、本を出した、家を建てた、等々です。通常こうした達成感には他人の承認がついてまわるので、自他共の承認が可能となります。

しかし、何かの理由で徐々に積み重ねてきた自己承認を失くしてしまった場合は、この宇宙生命から来る自己承認に立ち返ることになります。人間は宇宙生命に生かされている存在であるので、基本的に自己承認できる生き物なのです。とはいえ、小さな自己承認を再び積み重ねることこそ、失くしてしまった自己承認を実際的に回復する方法でしょう。

結局、凡人が自己を承認しようとすれば、小さな成功を積み重ねて、徐々に自信をつけていくしかない、と言えます。

しかし、この究極の自己承認の考え方を知っているのと知らないのとでは、大きな差がつくのです。コーチングするほうもされるほうも例外はありません。

相槌・うなずき・オウム返し
488



最近はどこの家庭でも留守録機能のついた電話機を持っています。ピーという発振音の後にメッセージを吹き込むわけですが、たいていどもってしまい、話しにくいことこの上ありません。なぜでしょうか。

これは留守録に相槌・うなずきといった承認が全くないからです。留守録こそ承認ゼロの会話と言えましょう。つまりシカトされたのと等価であるわけです。相槌・うなずきと言う承認がいかに人間に必要なものかわかりますね。

ただ相槌・うなずきは最低限の承認であって、これがオウム返しになるとより承認の度合いが高くなります。たとえば、

○相槌だけ
「昨日ゴルフに行ったんだけどね」
「はい」
「途中から夕立で、大変だったよ」
「はい」

○オウム返し
「昨日ゴルフに行ったんだけどね」
「ゴルフですか」
「途中から夕立で、大変だったよ」
「夕立ですか」

どうですが、オウム返しのほうが承認の度合いが高くなりますね。しかし、承認として最高のレベルかというとそういうわけでもありません。オウムはオウムであって人間ではないからです。

○承認らしい承認
「昨日ゴルフに行ったんだけどね」
「ゴルフですか。暑いのにお疲れ様」
「途中から夕立で、大変だったよ」
「夕立ですか。それは気の毒に」

こういうふうに対比させるとわかりやすいでしょう?

成功哲学と自己承認
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成功哲学という精神科学の一分野があります。いろいろな人がいろいろな述べ方をしていますが、すべて同じ原理を述べていると考えられます。ひと言で言えば、

私たちが一度この世に実現しようと堅く決意したものは、その決意を中和するか修正しない限り、必ず実現して私たちの体験するところとなる。それゆえ私たちがある確固とした希望を実現しようという決意に到達し、その実現のありさまを命の底深く実感するとき、宇宙に遍満する心の大海原を動かす力が発生し始め、私たちの人生の目的の実現に同調する人たちが私たちと自然交渉を持つようになる。こうして私たちをして正しい方向に着々と動かす機会が私たちの前に現れる。

ということです。

最近、個人的にこの事実のプラス・アルファとして分かって来たことは、

「どうしてそれがうまく行くんだ?」

とあまり論理的な疑問を起こしてはならない、ということです。そうすると信念が薄まってしまう。それよりも、

「自分は強運なので、いかなる挫折を経ようとも、最後には想いを遂げる」

と一途に信じるのがよい、ということです。不肖この私はそうは言っても空想家とは対極の論理的かつ実際的な人間だと信じて来ました。それがかえって信念を薄めてしまい、小さな結果を求めてあくせくするような心境を生み出して来たと言えます。

私は決して失敗の人生を送っているとは思いませんが、大成功には程遠いと思います。ですから、成功哲学を論じる資格はとてもあるとは言えません。

しかし、これだけは言えるでしょう。

「自分は強運なので、いかなる挫折を経ようとも、最後には想いを遂げる」

というのは、自己承認そのものだということです。成功哲学の根底となる概念は自己承認であり、どれだけ強い自己承認が持ちうるかが勝負、というわけです。結局、「成功哲学とは自己承認を別の角度から説明したもの」と言えるのです。

承認とは自己承認の増幅
486



セルフ・コーチングでもない限り、コーチングは相手あって成立するものです。

そしてコーチングがコーチングたりうるためには相手を承認(肯定)できなければなりません。承認にはいろいろなレベルはあります。しかしどのレベルであっても、相手の承認が土台となります。

コーチングは換言すれば承認の科学です。

しかし、相手を承認したことによって、相手が自己承認を増幅して初めて承認が効果を発揮するわけです。

相手を承認しても、その相手が自己承認を増幅することができなければその承認は意味を持ちません。たとえば、承認が口先だけのリップ・サービスであれば、自己承認の増幅などまるでおぼつかないことでしょう。

コーチングの対話とは相手に対する承認がその相手の自己承認に転化するプロセスであると言えます。結局、他人に対する承認とは中空に消え行く音楽のようなものであって、承認の結果としては自己承認のみが残ります。

その意味で言えば承認は自己承認に転化することのみによって存在意義を持ちうるわけで、承認の実体は自己承認しかない、と言えるのです。
500 ADD
499 具体的で辛口の承認
498 承認は「ノリ」というプラス・アルファを生む
497 承認を少しでもいいから絡める
496 木に登らせる

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495 ペーシングなんて
494 コーチングはスキルではない
493 コーチングの種類について
492 嫉妬と承認欲求
491 承認欲求

*
490 自己実現欲求と承認欲求は表裏一体
489 究極の自己承認
488 相槌・うなずき・オウム返し
487 成功哲学と自己承認
486 承認とは自己承認の増幅
*
485 インターネット・マーケティング
484 とにかくいい時代
483 四十肩(五十肩)
482 夏の思い出(パート2)
481 夏の思い出

*
480 日経経営セミナー(大阪)
479 次の志
478 志がなくては
477 立志の自己承認
476 相手がある問題

*
475 まず自己承認を確保せよ
474 窮地を乗り越えるとは
473 積極心とは、信念とは
472 承認は人生だ
471 すみやかな忘却

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470 承認の世界は生ぬるい?
469 「叱責」は「愚か」
468 承認は承認を呼ぶ
467 承認の世界に生きよ
466 メールは真剣勝負

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465 承認の調整機能
464 承認は功徳だ
463 配偶者の承認
462 プライド
461 座右の書

*
460 寛容さ
459 すべてを承認につなげよ
458 昼間何をするのか
457 値上げだと?
456 臭くあるな、らしくあれ

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455 気安くほめるな
454 社会経験
453 ルールの違い
452 うまく辞めさせるのもビジネス・コーチングのうち
451 「げっそり感」はコスト


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