語ってもらってまず切実さを理解する
925



私が全くはじめての相手と体験セッションをするとき、必ず尋ねることがあります。それは、

@今日は何をお手伝いしましょうか
A具体的にどうなればいいのですか


の2つです。私のセッションでは冒頭にこの質問をすることは「基本中の基本」であり、例外はありません。もちろん事前にメールである程度の内容を頂戴しています。人によっては長文で詳しく書いてこられる方もいます。それでも尋ねます。万一、

「メールに書いた通りです」

という返事が返ってきても、

「ご本人の口から直接うかがいたいので」

と言います。ねらいは本人に語ってもらうことによって本人の思考を自分で整理してもらうこと。もうひとつは本人が話すのを聴いて、本人がどの程度の想いを持っているのか、感触をつかむことです。

想いが強くても、さらりとした短い文面を書いてくる人もいれば、それほど想いが強くないのに文面は長い、という人もいるからです。文面だけでかなりの程度までわかりますが、すべてがわかるわけではありません。

さて、@今日は何をお手伝いしましょうか、の質問ではや詰まってしまう人も稀にいます。もちろんセッション相手としては問題外です。早々に打ち切ります。通常@が答えられれば、Aは@の対偶ですから、確実に返答が返ってきます。しかし、解決したい内容とAの回答のニュアンスから、私は相手の想いの切実さを判断するわけです。

はっきり言って切実な想いがあるなら、カウンセリングであろうとコーチングであろうと問題なくできます。しかし切実でないなら、カウンセリングであろうとコーチングであろうと言葉の遊びです。木で鼻をくくったような対応は避けるとしても、適当に相手をして早々に切り上げます。

以前、ネット起業をしようと思うがどうもやる気がでず、行動が起こせない、とぬけぬけと言った人がいました。私に言わせれば、そんな人は起業する資格なしなので、起業しなければいいのです。また起業する必要もないのでしょう。興味本位でコーチングと言っているに過ぎません。適当に相手をして早々に切り上げたのは言うまでもありません。

とにかくセッション冒頭で相手の想いの切実さをまず把握すること、これが大切だと思っています。

批判・叱責に強くなるためには
924



私の一番の愛読書は、ラルフ・ウォルドー・トラインの書いた"In tune with the infinite"です。これはヘンリー・フォード一世が自宅に在庫して、来客に進呈した、といういわくつきの本でもあります。

さて、谷口雅春先生の邦訳では次のように書かれていました。

「神(真理)に心を打ち開いたとき、人は神の力を身にまとう」

わかるようでわからないのがこの「打ち開く」という言葉です。具体的にどうすることなのでしょうか。

人は必ず真理とつながったもう一人の自己と対話しながら生きています。ここでは真理とつながった自己を真我と呼ぶことにします。真我は人間の神の部分(神性)で、善悪の判断はこの真我が担っているわけです。言い換えれば、人間はこの真我から承認されて生きている存在であると言えます。

だから、「打ち開く」というのは、その第一条件としては、「真我と対話し、真我から承認されること」と考えれば、理屈に合います。つまり真理に心を打ち開いた人というのは、その言動が一貫して真我から承認されている人なのです。だから「信念の人」というわけです。

自信のない人というのは、真我から否定されている人か、真我をあまり意識せず、自我主体で生きている人です。真我から否定されている人というのは、罪悪感のある人です。罪悪感があれば、自信がないのは当然でしょう。そしてとくに罪悪感はないが、自我主体で生きているのが多くの一般大衆です。多くの一般大衆は真我の承認をふだん意識しないものだから、他人の承認を躍起となって求める結果となるわけです。

偉そうに書いていますが、私も凡人なので、真我の承認をふだんから意識しているのか、と問われれば忸怩たるものがあるのですが、昔よりはずいぶん良くなったと申し上げておきましょう。

自我主体で生きていれば、他人の批判や叱責にやたら傷つく結果となります。しかし常に真我の承認を意識して生きている人(つまり真理に心を打ち開いた人)というのは他人の毀誉褒貶にさして思い煩わない人なのです。

だから他人からの批判・叱責に強くなるためには、常に真我の承認を意識して生きるのがよい、ということになります。

自我だけで生きている人も、批判・叱責を受けたときは、傷ついたあげく困り果て、無意識に真我の承認を求めて叫びを上げているのが実態です。ですから、真我の承認に目覚めるのは傷ついて困り果てた時がチャンスです。ですから、真我の承認については万人に等しく道が開かれていると言えるのです。そして、真我の承認は、学びそして悟れば、誰でもが等しく手にすることができる力であるわけです。

結局、悟りとは真我の承認ではないか、と私には思えるのです。

自分に自信が持てない人
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インターネットでコーチングのサイトを開設していると、たまに、

「自分に自信が持てない」

と書いて来られる人がいます。他人がどうこうできる問題ではないので、あまり相手にしたくないのですが、真摯?な悩みなら相談は受けて立つことにしています。

自分に自信が持てないのは、

「自分で自分が肯定できない」

ということです。自分で自分が肯定できないのに、他人が自分を認めてくれるはずはありませんから、自分が変わるしかないのははっきりしています。が、どう変わるべきか。ここで2つの人生観があるのです:

@自分が生きていくには、ちっぽけな自分が努力して這い上がるしかない
A自分はこの世界の中で生かされて生きているので、それだけでありがたい

@の人生観は孤立無援で厳しいですが、Aの人生観は自分を生かしてくれるすべてのものをありがたいと自覚する結果、自分を生かしてくれるすべてのものを自分の後ろ盾と感じて、自信が湧くでしょう?

自分に自信がないというのは、こうした真理に対する学びがふだんから不足しているということなのです。だから私は、自分に自信が持てない人には真理を勉強することを奨めます。人間は考え方さえ変えれば、今この場で自信を持ちうるものです。もちろん、頭でわかっても、体がついてこない、と言った現象は過渡的には発生します。

真理を学ぶのは現代人なら、真理の書に親しむのが一番です。私なら五井昌久先生、谷口雅春先生、中村天風先生の本をオススメします。もちろん他の人の本でもいいです。

人間この世に生まれてくるのは、まずは真理に目覚めるためです。「自分に自信が持てない」結果、真理を学ぶことになるのなら、それは造物主の御心にかなうことでしょう。私もそうだったわけですから。

人はどうして承認が必要なのか
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人はどうして承認が必要なのでしょうか。

そういう生き物だ、と言ってしまえばそれだけなのですが、マズローの欲求5段階説というのを見てみましょう。

1.生理的欲求(physiological needs)
2.安全・安定性欲求(safety-security needs)
3.所属・愛情欲求(belongingness-love needs)
4.承認欲求(esteem needs)
5.自己実現欲求(self-actualization needs)

ざっとながめてみれば、5つの欲求というのは、人類が生存し、継続し、共存し、進化する、といった種の保存に根ざした欲求であるということが見て取れます。つまり種の保存のために、造物主が人類にこうした欲求をビルドインした、というわけです。

3.所属・愛情欲求と4.承認欲求は人類の共存に根ざした造物主の配慮でしょう。とくに造物主は人が自分の欲望で暴走しないように二重にコントロールしていると私は考えています。

二重のコントロールとは他者からの承認と自己承認です。

他者から承認されるように行動するように人間はプログラミングされているので、人類は社会という形でうまく共存できるわけです。当然、他者から批判や叱責を受けると苦しむようにもプログラミングされています。

しかし、他者からの批判や叱責が理不尽であった場合、苦しむばかりでは困ります。そこで自己承認というのが用意されているのです。

人は必ず摂理とつながったもう一人の自己と対話しながら生きています。ここでは摂理とつながった自己を真我と呼ぶことにします。真我は人間の神の部分(神性)で、善悪の判断はこの真我が担っているわけです。真我の承認は他者からの承認よりも強力にプログラミングされているわけです。なぜなら真我の承認とは摂理の承認であるからです。

他人の批判や叱責に心を痛めつつも、乗り越えていく、というのはこの真我の承認(自己承認)に他なりません。だから修養を積んだ人と言うのは、この自己承認を意識的に訓練した人と言えるわけです。

人類は自己承認と他者からの承認をナビゲーターとして共存している、と言えるわけですね。
聖人とか悟った人というのは
921



人は生きていくために自他共の承認が必要なのです。

だから、マズローの欲求5段階説では承認欲求は4番目に来ています。

1.生理的欲求(physiological needs)
2.安全・安定性欲求(safety-security needs)
3.所属・愛情欲求(belongingness-love needs)
4.承認欲求(esteem needs)
5.自己実現欲求(self-actualization needs)

5.が有名な自己実現欲求ですね。ここでよくある誤解が、自己実現欲求は承認欲求よりも格上だから、他人から承認されることよりも、自己実現のほうが大切だ、という考え方です。

そうではなくて、承認欲求が十分満たされた時点で、自己実現欲求が出てくる、というのがマズローの説くところなのです。つまり、周囲からも、社会的にも十分承認された時点で、他人からの承認はもう十分だ、これからは自己実現だ、となるわけです。

もし自己実現に走った人に対して、周囲や社会からの承認が何らかの理由で途切れた場合、本人は自己実現よりはまず、周囲や社会からの承認を希求する、ということです。いかに修養を積もうと、承認欲求がなくなることはありません。

もしなくなっているように見えるとすれば、それは自己承認によって他者からの承認の欠乏を補っているということです。聖人とか悟った人というのはかくのごとき人を言うのです。つまり、摂理(神)と緊密につながって動じない、そのレベルまで修養を積んだということです。
950 志は不遇の時期にこそ立てるもの
949 LASIK
948 親方スタイルと現場監督スタイル
947 森を十分俯瞰する
946 被害者ではなくクレーム処理係と考えよう

*
945 指摘されなかった良いところに焦点を当てる
944 叱責のきつい相手と付き合う法
943 想いが強み
942 これからですよ、十分戦えますよ
941 想いを持つには自分の価値に気付くことが必要

*
940 武士道的組織論
939 水たまりの水
938 才能は欠落
937 挙手の求め方
936 受講態度の悪い人

*
935 本音を打ち明けたい人になるには
934 減点主義の毒消し
933 日創研の自己啓発セミナー
932 ボス・マネジメント(ボス・マネ)
931 イヤな相手はこう躱(かわ)そう

*
930 会話術に拘泥せず、加点主義を身につけよう
929 引き寄せの法則の扱い方
928 シークレット
927 チャレンジという概念
926 自己承認に長けた人格

*
925 語ってもらってまず切実さを理解する
924 批判・叱責に強くなるためには
923 自分に自信が持てない人
922 人はどうして承認が必要なのか
921 聖人とか悟った人というのは
*
920 大本営方針
919 雑誌SPA!のバイト特集
918 スピーチは心ここにあらずの聴衆を引き込むもの
917 志の欠落は否定形
916 死守しなければならない原則

*
915 アイスブレーク
914 他人にどう思われるか、という心配
913 敢えて組織のお荷物になろう
912 独自路線
911 人の振り見て我が振り直せ

*
910 陰ながら応援してますよ
909 コーチングは切実な想いのみをサポートできる
908 ストレスを感じたらその時点でガス抜きをする
907 悩んでいる人が落ち込む陥穽
906 この際社会勉強のつもりで行ってみませんか

*
905 3時間のセミナー
904 悩みと夢
903 『変なおじさん』というギャグ
902 新婚さん
901 積極心とは


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001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
251〜300 301〜350 351〜400 401〜450 451〜500
501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
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