志は不遇の時期にこそ立てるもの
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自分は将来こうしたい、という志を立てるには、不遇の時期が向いています。すべてが順調だと、そうした環境で満足してしまって、志を立てるだけのエネルギーが出ないでしょう。不遇の時期こそ、なぜ不遇と感じるのか、そしてどうすれば自分が満たされるのか、問題意識が研ぎ澄まされるからです。

たとえば大手商社に付き物の海外赴任というのがあります。言葉に不自由しなければ、海外赴任は楽しいし、やり甲斐があります。しかし、任期はいずれ終わり、いずれ国内に帰ってくることになりますが、日本国内はじつにせせこましい。物理的にもそうですし、人間関係でもそうです。私も、しばらく米国にいて帰国した時は、日本は道が狭いという、ただそれだけの事実にずいぶん不愉快だった記憶があります。

そんな状況下で、日本に着任しても欲求不満が募ります。あ〜、海外時代は良かったなと思ってしまいます。また海外に赴任するチャンスがあるならともかく、日本に着任後は定年まで国内、という境遇になった日には暗いですね。

しかし、こうした環境こそ、定年後にどうしたい、という志を立てるには最適と言えるわけです。定年後にこうしたいという志があれば、またその試練の時期の過ごし方も違って来るわけです。受験でも、たとえば将来医者になる、といった志があれば、勉強に身が入るが、単に浪人したくないだけ、では暗かったですね。それと同じではないでしょうか。

・・・ととあるクライアントさんに申し上げたところ同感していただけました。志は不遇の時期にこそ立てるもの、なのだと思います。

LASIK
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LASIKという視力回復手術があります。

さて私、2007年12月19日にLASIKを受けました。フラップもレーザーでつくるイントラ・レーシックで、受けたのは大阪梅田の品川近視眼科です。

以前は−6度の眼鏡で矯正してようやく両眼で0.6くらい、もちろん生きてはいけますが、遠くを見ることに関心がなくなって、休みは家に籠もりがちでした。残りの人生、これではつまらんと思い始めたわけです。

手術を受けた当初は正直大いに後悔しました。覚悟はしていたのですが、正直ここまで老眼がひどいとは思いませんでした。遠くが見えないのは辛いですが、近くが見えないのも辛い。以前の生活は遠くこそ見えなかったのですが、老眼などどこ吹く風だったのです。その意味ではLASIKを受けないというのも十分説得力のある選択肢です。

さて適切な老眼鏡(2.5度)を入手してからは、考え方が変わりました。ふちナシ眼鏡の外に展開するのは1.5の世界です^^以前は0.01の世界ですから。あまりにも美しい世界に感動の連続です。

わかったのは私の歳では0.6程度に矯正すれは、老眼は意識せずに生活できるがそれ以上は確実に老眼鏡が要ると言うことです。そうすると2つの選択肢が考えられます。

@LASIKで0.6に矯正、遠くを見るには近視の眼鏡を使う
ALASIKで1.5に矯正、近くを見るには遠視の眼鏡を使う

@は遠くが見えないのは以前と同じで、満足感が低いのだそうです。これはその通りだと思います。それに老眼が進んだときに近視の眼鏡に加えて、老眼の眼鏡が必要になってしまいます。Aがやはりベストの選択肢です。

−6度の眼鏡で矯正した0.6は手元の像は小さく見えます。+2.5度で矯正した0.6は同じく焦点が合っても、画像は2割ほど大きくなります。目とレンズの間に距離があるので、どうしてもそうなるわけです。

トータルではメリットがデメリットを上回るので、やっぱり受けてよかったというのが今のところの感想です。

最近はLASIKも値崩れしているそうです。私の場合、手術料金は17万8千円でした。もっと安いところもあります。手術と言うよりは工業生産に近い。医師は治具を当てて、機械を設定するオペレーターに過ぎません。

ちなみにワンロット8名で、患者8名でぞろぞろと手術部屋に移動します。これで医療事故を起こしてたら、営業どころではないでしょう。まず大丈夫と判断し、踏み切りました。また老眼の眼鏡は驚くほど安い。2000円で超軽量のものが買えます。100円ショップでも売ってます。度のきつい近視の眼鏡は5〜6万します。今後何度か近視の眼鏡を作ることを考えたらモトはとれるわけです。

ただ他人にオススメしたいかと言えば、自己責任で、というしかありませんが・・・

ここ数日はLASIKの術後に適応するのが精一杯、コーチングどころではありませんでした。しかし、結果的には生まれてこの方、悲願だった1.5を手に入れたわけです。想いはいつか叶う、これは実感できました。

親方スタイルと現場監督スタイル
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建設工事現場の現場監督という仕事があります。現場の総責任者ですが、いわゆる「専門技術を持った親方」ではありません。工事という実務そのものは何もできない。仕事が立て込んで来ると、見よう見まねでモノの運搬ぐらいは手伝ったりしますが、それくらいがせいぜいです。その意味では、指揮下にある業者と根本的に異なります。その代わり、業者の仕事を検収するという権能を持つわけです。

工事現場には必ずバラックの現場事務所というのがあります。ここで業者と進捗打ち合わせをするわけですが、業者が作業中は基本的にヒマなわけです。では何をしているのか。雑用です。打ち合わせに使ったコーヒー・カップの洗い物をしたり、事務所の掃除もします。やってる仕事は一見業者よりも付加価値がはるかに低いように見えます。

しかし、それでいいのです。主役はあくまでも業者、自分はあくまで脇役に徹し、工事プロジェクトという容れものを維持管理するわけです。

さて、職場の上司にも二通りのスタイルがあります。ひとつは親方スタイルです。これはたたき上げで、部下の誰よりも実務を熟知し、指示・命令によって仕事をすすめてゆくやり方です。もうひとつは現場監督スタイルで、実務はできないし、実務に対する知識も部下より劣る。しかし、仕事を検収するという権能を使って、部下が主役で仕事をしてもらうわけです。

たたき上げでなく異動で他の部署から来た上司は、現場監督スタイルの選択肢しかないわけです。しかし、上司は親方スタイルでなくてはならない、と思い込む人がいます。何を隠そう昔の私がそうでした。そういう勘違いをしたままだと、自分が実務ができないことに常に負い目を感じて苦しむものです。しかし、現場監督という考え方に開眼して以来、親方スタイルと現場監督スタイルに優劣はないと確信するに至りました。要は部署のアウトプットが極大であれば、スタイルは関係ありません。むしろ現場監督スタイルのほうが部下も育って好都合なのです。

親方スタイルか現場監督スタイルか、コレを見分けるひとつのバロメーターがあります。取引先から菓子折りをもらったとしましょう。親方なら、誰かに言って分けさせます。私は現場監督スタイルなので、自分で包みを解いてお菓子を部下に配って歩きます。現場監督はこうした下座が何の抵抗もなくできることが大切なのです。

森を十分俯瞰する
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あるクライアントさんが、自分は仕事の判断が遅い、何とかならないだろうか、と言われました。個々の仕事の処理能力は現在のその人の実力であり、手っ取り早く改善できるということはないと考えられます。

しかし、十ある仕事のうち、どれから手をつけるべきかで迷いがあれば、たとえ着手しても、その仕事に十分集中できないでしょう。他の仕事が「気になる」わけです。その結果、その人の本来持つ処理能力が出ない、ということが起こりうるのです。

つまり「木を切るときは森を見てはいけない」のですが、「木を切るのに森を見てしまっている」わけです。これは森が十分俯瞰できていない結果だと考えられます。

タイムマネジメントの考え方に、"URGENT"と"IMPORTANT"の軸を交差させて、四つの象限を作るものがあります。つまり平面を、直交する二直線("URGENT"と"IMPORTANT"の軸)で区切って、次の四つの部分を作るわけです。

I +URGENT, +IMPORTANT

II -URGENT, +IMPORTANT

III +URGENT, -IMPORTANT

IV -URGENT, -IMPORTANT

仕事をこの4象限に書き出せば、森は十分俯瞰できるのでは、と申し上げました。この方は何か感じるところがあったようです。

「これだな」

というつぶやきが返ってきました。

被害者ではなくクレーム処理係と考えよう
946



パワハラという言葉が普及してきました。昨今は叱られ慣れていない世代が、これで鬱になる社会問題が報道されています。といってパワハラという明確な状態が存在するわけではないのです。明確にクロならとっくに社会的制裁を受けています。パワハラは瞬間最大風速として現われ、表向きはあくまでシロなのです。だから提訴といったことは最終手段で、提訴する側の犠牲も甚大です。うまく叱られて、いじめにまでエスカレートさせないのが上々の対応策なのです。

一般的な実情は、時としてパワハラもどきの言動に訴える古いタイプの上司は世間に数多くいる、ということです。こうした人物は相手は批判や叱責することによって他人は変えられる、いや変えなければならない、という信念を持っているものです。まず直りません。たとえば、こうした上司や目上はこんなふうに言います。

「何回言えばわかるんだ!まじめに仕事をしろ!」
「また失敗したか。それだからお前はだめなんだ!」
「言われたことは、しっかりしろよ!」
「成績が下がったら、手当てを減らすからな!」
「まだ休んでいるのか、さっさと仕事をしろ!」

こういうのをボス・マネジメント(ボス・マネ)と言います。こんなふうに言われたら誰だって強いストレスを受けます。しかも、上司だから口答えできません。パワハラもどきのボス・マネを受けた場合、どうすればいいのでしょうか。

第一に、自分を安易に被害者にしてしまわないことです。自分を被害者と考えたら、相手に対する批判は止まりません。もっとやさしく言ってほしい、目上なら目上らしく振る舞ってほしい、上司ならいざという時には責任を取って欲しい、と思いがあるなら、相手に対する批判が必ず顔に出るものです。その結果、こちらの思いはたちどころに相手にわかってしまいます。こうした減点主義で相手と向き合った日には、こじれた人間関係が改善することなど絶対にない、と言っていいでしょう。

そうならないためには、自分をクレーム処理係だと思うことです。上司だと思わずお客だと思うのです。クレーム処理係は絶対お客の批判をしません。「あ、こういう人なんだ」という健全な絶望感から出発します。徹底した加点主義でないとクレーム処理係は勤まらないのです。そして挑発に乗らず、反発も気付かせないようにします。そのためには、へつらわず相手の肯定できる点を即座に肯定するのです。加点主義に転じるとこれが可能になります。たとえば、納得のいかない叱責を受けても口答えせず、

「はい、わかりました」
「たしかにその通りです」
「まことに申し訳ございません」

とサラリと言って、身をかわすのです。クレーム処理係の対応はまさにこれです。こうした受け答えがきっかけで、相手は、

「なかなか素直な奴だな。憎めないな」

と思うわけです。こうして人間関係のこじれは防止できるわけです。
950 志は不遇の時期にこそ立てるもの
949 LASIK
948 親方スタイルと現場監督スタイル
947 森を十分俯瞰する
946 被害者ではなくクレーム処理係と考えよう
*
945 指摘されなかった良いところに焦点を当てる
944 叱責のきつい相手と付き合う法
943 想いが強み
942 これからですよ、十分戦えますよ
941 想いを持つには自分の価値に気付くことが必要

*
940 武士道的組織論
939 水たまりの水
938 才能は欠落
937 挙手の求め方
936 受講態度の悪い人

*
935 本音を打ち明けたい人になるには
934 減点主義の毒消し
933 日創研の自己啓発セミナー
932 ボス・マネジメント(ボス・マネ)
931 イヤな相手はこう躱(かわ)そう

*
930 会話術に拘泥せず、加点主義を身につけよう
929 引き寄せの法則の扱い方
928 シークレット
927 チャレンジという概念
926 自己承認に長けた人格

*
925 語ってもらってまず切実さを理解する
924 批判・叱責に強くなるためには
923 自分に自信が持てない人
922 人はどうして承認が必要なのか
921 聖人とか悟った人というのは

*
920 大本営方針
919 雑誌SPA!のバイト特集
918 スピーチは心ここにあらずの聴衆を引き込むもの
917 志の欠落は否定形
916 死守しなければならない原則

*
915 アイスブレーク
914 他人にどう思われるか、という心配
913 敢えて組織のお荷物になろう
912 独自路線
911 人の振り見て我が振り直せ

*
910 陰ながら応援してますよ
909 コーチングは切実な想いのみをサポートできる
908 ストレスを感じたらその時点でガス抜きをする
907 悩んでいる人が落ち込む陥穽
906 この際社会勉強のつもりで行ってみませんか

*
905 3時間のセミナー
904 悩みと夢
903 『変なおじさん』というギャグ
902 新婚さん
901 積極心とは


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