その60
『朝日新聞』1898.12.13 所収
朝日新聞 明治三十一年十二月十三日
大塩平八郎 (七十二) 猪俣生
党衆ハ進みて天満橋に到れバ、京橋口の守備警戒甚だ厳にして、橋も亦切断せられたるものゝ如し、因て流に沿ひて西に転じ、行々砲を放ちて天神橋に到り、渡りて中央に到れバ、橋の南端数軒、亦既に切断せられたり、平八郎之を見るや大に怒りて曰く、咄(とつ)奸賊、畏避して敢て出でず、斯の卑怯の行を為すと、乃ち更に途を西に取りて進み、且行々衆をして大声に呼ばしめて曰く、老幼ハ避けて禍を免かれよ、壮者ハ来りて力を戮せよと、是より先き党与漸次に増し、此時に至りて既に五百人に超えたるを以て、鋭気益々加はれり、然れ共未だ奉行等一人の来りて之を防ぐ者あらざりし、
進みて難波橋に到り、先づ橋上より前岸の市街に発砲して敵の有無を探り、橋を渡りて北浜二丁目に出で、鴻池三郎兵衛の家を焼き、次に一丁目に出でゝ、島屋市十郎 *3の家を毀ちて金穀を四散し、更に進みて今橋二丁目なる鴻池善右衛門の家に至る、時に全家鼎沸(ていふつ)して家財を運ぶに急なり、平八郎乃ち麾して曰く、汝等速かに此を去れ、迷を取りて死を求むる勿れと、人々猶彷徨として倉を鎖(とざ)し財を搬ばんとす、是に於て砲を発ちて其人々を逐ふ、時正に午の刻に際せるを以て、齎(もた)らす所の餐を伝へ、此に休憩すること少時なり、然れども未だ奉行等一人の来りて之を防ぐ者あらざりし、
既にして此を発するや、倉庫を破壊し家屋を焚燬して其一棟をも遺すことなし、更に進みて鴻池他次郎 *4 同庄兵衛 同徳兵衛の家を壊り、南行して高麗町 *5 に至り、三井及び岩城の呉服店、島屋八郎右衛門の居宅を毀ち、愈々進みて平野町なる内田惣兵衛 平野屋彦兵衛 同佐兵衛 米屋喜兵衛 炭屋彦次郎の家屋倉庫を破壊焼燬し、其金銀米穀を揮霍(きかく)散布せり、此時に至りて全都乱擾益々甚し、然れども彼れ奉行等尚ほ未だ一人の出で来りて之を防ぐものあらざりし、