Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.11.9訂正
2000.10.22

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 平 八 郎」

その62

猪俣為治

『朝日新聞』1898.12.15 所収


朝日新聞 明治三十一年十二月十五日
大塩平八郎 (七十四) 猪俣生

  其十四 大破裂(続)

跡部山城守ハ頻に援兵を遠藤但馬守に促しゝが、援兵の来るに及びてや、自己の手兵と共に之を奉行所の要地に拠らしめ、此に大砲を装置し、一意防禦の策のみを講じて、進みて平八郎に当り、之を逮捕し且つ火災を鎮むるの意なきものゝ如く、伊賀守及び其他の人々ハ頻に其出馬を促せども、彼ハ躊躇して発せざりき、然るに平八郎の党与ハ益々各所を蹂躙し、火勢も亦益々猖獗を極めたり、是に於て伊賀守ハ独り自己の手兵を率て出馬したれども、是亦武器の備はらざるを以て、逡巡して敢て敵前にに近づかざりき、

吾人ハ今此変に就て、彼れ奉行等の如何に卑怯にして、其配下の如何に懦弱なりしかを知らしめんが為に、此際功労ありて賞与を賜りたる玉造の与力本多助(本多為助)が物語の一節を左に抜萃すべし、


藤田東湖「浪華騒擾記事
大塩の乱銃撃戦 発砲記録(幕府方)
大塩平八郎関係年表


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