『事実文編 第4』(五弓豊太郎編 国書刊行会 1911) より
爾後 雨に沮まれ、舟行滞緩し、昨夜 方に大阪に抵(いた)る、
大塩氏と師弟之契有るを以て 過訪す、
師語るに 君を誅し民を弔之謀を以て、迫りて同盟を令す、
児 竊に念う、是 叛逆也、
之に従うは 則ち君を累し親を辱しむ、
従わざれば 則ち師に背き 勇(つよ)く傷む、
此に一有り、苦諌して死すに如かず、
顧みて君恩に未だ報いず、
侍養 未だ終らず、不忠不幸、罪大なる莫らんや、
然るに 師は既に大事を挙げ、必ず諌を納れず、
児 已に密謀を聞く、万(よろず)生路無し、
死諌之計 已むを得ず出ず、
伏して祈る 愛を割(た)ち 察し垂(たまわ)らんを、
大阪に変有りと聞かば、須らく児 已に之死すと知らるべし、
茲に数字を写し、膝下に奉訣す、
二月十八日、大阪より発す、
此書 敬次 奴友蔵を齎帰せしめ、奴 大津に到り、大阪に乱起るを聞く、
将に反りて敬次を救はんとす、
徘徊顧望之間、石原清左衛門の部吏に捕わる所と為る、
二月廿二日、大阪奉行府に押送され、供して云う、
敬次 年二十九、彦根家老宇都木下総次子、
武技を学び、諸州を歴遊し、四年前大阪に遊び、大塩氏之門に入る、
奉行 已に此書を閲し、荘司儀左衛門を獄より出し 敬治の死状(しにざま)を問う、
対えて云う、
十八夜、我党大塩氏に会い、敬次 列び出ず、
進諌百端、聴かれず、
既に厠に上る、
平八郎 衆に謂いて曰く、
敬治の議 異なる、除かざるを得ず、誰か能く手を下すや、
大井正一郎 声に応え 刀を提げて起つ、
平八郎 呼びて曰く、短兵は長兵に如かず、
乃ち鎗に易(か)え之に従う、
大声に云う、
宇都木氏、請う 先生の為、一命を賜わる、
敬次 方に厠を出で 手を濯ぐ、
之を聞き 坦腹して坐して曰く、
惟(これ)命と、
言 未だ畢(おわ)らず、
鎗尖 背を洞(とお)す、
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*1 宇津木
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