Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その88

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十八席 (2)

管理人註
   

 さて此今橋筋では、鴻池一統は云ふまでもなく、天王寺屋五兵衛、平野 屋五兵衛、などの家を焼き立て、高麗橋筋へかゝりましたが、同町には三 井呉服店、岩城呉服店などへ火を放ちましたが、此時に三井呉服店では、       うち 多くの土蔵の中、二戸前だけ焼け残りました、其焼け残つたる土蔵は、今 日尚ほ三越呉服店で使用して居り、同店の南手にある、四番の荷物庫と、 五番の木綿庫が、即ち夫れでございます、此二戸前の土蔵こそ、実に大塩 騒動の紀念物とでも申しませうか、扨此処より二手に別れまして、今橋と 高麗橋を東に渡り、東横堀に沿ふて南に進み、内平野町の米屋平右衛門の 門口へ来たときに、例の庄司儀左衛門は。  『当家は殊更に怨みあり、ソレ討てツ』            おほづゝ  と下知しましたので、大砲の支配をして居た金助が。  『心得たり』           ひぐち  と打放したる大砲の火口に吹かれ、儀左衛門は、右の手首其他に負傷し                おど       あるじ          つもり たが、更に屈せずして米屋の家に躍り込み、主人平右衛門を殺害する心算 でございましたが、モウ同家の家族は避難をして、重立つたる者は居りま せんでした。  何故庄司儀左衛門が斯んなに恨みを含んで居たかと云ふと、是は先達つ て大塩平八郎が、鴻池善左衛門方へ金談に往つた時に、大方金調の出来て               ごん あつたのを米屋平右衛門が、一言の注意から不調になつたので、其事を根 に持つて居るから、殊更に大砲を打込ませたと云ふ事でございます。   かね/゛\  扨予々大塩から手を廻して、大阪の天満の火事のあつた節は、早速に駈         いひつ 付けるやうにと、吩附けありました近在の者共は、スワ大阪に大火がある と云ふので、追々馳せ加はりました。  扨跡部山城守に於きましては、配下の与力同心と雖も、斯うなつて見る と大塩に同意の者があるかも知れないから、少しも心を許す事は出来ませ ん、と云つて今日の場合、夫れを吟味をする事は、到底むづかしうござい ますから、此騒動の鎮撫方に当惑いたし、兎も角も御城代の力を借りるよ り他に策はないと心得、早速御城代土井大炊頭の屋敷に至り。       はか     しゆつたい      いろ/\  『扨今日慮らざる椿事出来仕り、就ては種々御配慮に預かり、何共ハ ヤ恐縮の至りにございまする、拙者の手にて取鎮め申すべきの処、組与力 また同心の者等の善悪邪正が、今日の場合一向に相分り兼ね、夫れが為め 未だ斯くの如き有様、甚だ不都合千万……何分取鎮むるに人数払底にて、 困却いたし居ります、何卒玉造の与力同心等を御貸し下さる様、此儀御願 ひの為め罷り出でましてございます』  大炊頭には気の毒に思はれまして。                   さぞ  『実に容易ならぬ椿事出来に及び、嘸心労の事でござらう、幸ひ玉造   ぜうばん の御定番遠藤但馬守殿にも登城いたされて居らるれば、一応其事を申し談 じて見ませう』  と大炊頭より御相談になりましたので、但馬守にも早速御承知になつて、 玉造の与力阪本源之助、本多為助、蒲生熊次郎の三人に同心三十人を相添 へて、跡部山城守へお貸しに相成りましたので、此人々は奉行所の乾の方 に梅の林がございます、其処を切開いて鉄砲の筒口を揃へ、今にも逆徒の 押寄せ来たらば、防ぎ止めんと待搆へて居りました。


豪商等所在地図

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その117

幸田成友
『大塩平八郎』
その133 

大坂役人録
(天保八年年頭)


『大塩平八郎』目次/その87/その89

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