Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.4.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その29

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

洗心洞の学風(6)
 (其一)洗心洞の学説(1)

管理人註



洗心洞の
学説


















洗心洞箚
記















哲理的研
究の半面
に於ける
五大綱要

退隠以来、平八は、閑散なる処士の身を以つて、専心一意、力を問学と教育 とにくし、切間近思し、提撕誘掖し、講釈訓誨の余、其の自得発明したる ところを随筆随書し、河東読書録、寧陵呻吟語及び寒松堂庸言等の体に傚ふ て剳記二巻を成し、名けて洗心洞剳記と曰ひ、自ら之に序して云ふあり、    ○  ○  ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○  ○   ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○  ○  ○ ○ ○ ○ ○  ○   毎目之所心之所得。筆之以自警。又以助子弟之憤已      矣。                  ● ● ● ● ●   ● ●  ● ● ● と、然れども其の之を著はして、「一生之心血、半在于此書」と自ら言ふ に睹るも、之を芙嶽と勢廟とに蔵せる、事実に察するも、是れ実に其の尤も 力を致したる著述なること明白なり、其の序文に言ふ所の如きは、謙遜して         ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ● ● ● ● ●   ● ●  ● ● ●    ○ ○ ○ ○ 言ふのみ、然り此剳記や実に平八「一生之心血、半在于此書」ものなり、 業已に然り、然らば之によりて、其の学説の一班を窺ふ、亦た正鵠を失する ものなりとせむや、而して剳記は、天保四癸巳の年四月を以て、其の剣を畢 へたり、                        ・・・・・・・・ ・・ 今ま此の剳記と、其他所著の書五六巻とを取つて、其の学説を窺ふに、其の ・・・・・ ・・・・・・・・・・・ 眼目となし、骨髄となすところ五あり、      ● ●        ●  ● ●  (一)大虚    (二)致良知      ●  ● ● ●         ●  ● ●  (三)変化気質 (四)一死生      ●  ● ●  (五)去虚偽 是れなり、而して此の五者、是れ即ち陽明学の学説を祖述したるものなるこ と、其の自ら序文中或問に答へて、   子等以此五者先賢之成語乎、又謂我之創説耶、我之創説、則宜          ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○  ○   ○ ○ ○ ○  ○ ○   有後慮也、先賢之成語、而吾特発揮之焉耳、則又何足患哉、 と曰ふに睹るも明白なり、


(つ)くし

提撕
(ていせい)
師が弟子を奮
起させ導くこ
と



石崎東国
『大塩平八郎伝』 
その55








睹(み)る








































山田 準
『洗心洞箚記』(抄)
その14


『大塩平八郎』目次/その28/その30

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