洗心洞の
学説
洗心洞箚
記
哲理的研
究の半面
に於ける
五大綱要
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退隠以来、平八は、閑散なる処士の身を以つて、専心一意、力を問学と教育
とにくし、切間近思し、提撕誘掖し、講釈訓誨の余、其の自得発明したる
ところを随筆随書し、河東読書録、寧陵呻吟語及び寒松堂庸言等の体に傚ふ
て剳記二巻を成し、名けて洗心洞剳記と曰ひ、自ら之に序して云ふあり、
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毎有目之所触心之所得。筆之以自警。又以助発子弟之憤已
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矣。
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と、然れども其の之を著はして、「一生之心血、半在于此書」と自ら言ふ
に睹るも、之を芙嶽と勢廟とに蔵せる、事実に察するも、是れ実に其の尤も
力を致したる著述なること明白なり、其の序文に言ふ所の如きは、謙遜して
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言ふのみ、然り此剳記や実に平八「一生之心血、半在于此書」ものなり、
業已に然り、然らば之によりて、其の学説の一班を窺ふ、亦た正鵠を失する
ものなりとせむや、而して剳記は、天保四癸巳の年四月を以て、其の剣を畢
へたり、
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今ま此の剳記と、其他所著の書五六巻とを取つて、其の学説を窺ふに、其の
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眼目となし、骨髄となすところ五あり、
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(一)大虚 (二)致良知
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(三)変化気質 (四)一死生
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(五)去虚偽
是れなり、而して此の五者、是れ即ち陽明学の学説を祖述したるものなるこ
と、其の自ら序文中或問に答へて、
子等以此五者為先賢之成語乎、又謂我之創説耶、我之創説、則宜
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有後慮也、先賢之成語、而吾特発揮之焉耳、則又何足患哉、
と曰ふに睹るも明白なり、
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(つ)くし
提撕
(ていせい)
師が弟子を奮
起させ導くこ
と
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その55
睹(み)る
山田 準
『洗心洞箚記』(抄)
その14
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