両方面の
調和合一
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問学明道は哲理的研究の方面なり、功業節義は実行的研究の方面なり、明道
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のみを説かず、事功のみを説かず、之を並立せしむるは、平八の大主眼とす
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るところなり、而して其の趣意は知行合一の説に基づく、平八自ら「是余不
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得 已之苦心也」と、曰ふを見なば、以つて其の如何に此の両方面を結合す
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るに於いて、意を致し、思を覃したるかの、一班を窺ふを得べし、其の東堂
掲示の劈頭第一に呂新吾の
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堯舜事功、孔孟学術、此八字是君子終身急務、
なる語を特筆したる所以の衷情も、亦たここにありしならめ、
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文学に関しては、平八は全く門外漢なり、哲学者として、倫理家として、論
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理家として、又た実行家として、平八は優に其の地歩を占む、而かも平八は
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竟に文学者たる資格を備ふるを得さりき、其の詩篇文章を見るに殆むと詩の
詩にあらす、文の文にあらざるを認めすむはあらず、然れども文学者として
平八を観察せむとするは、却つて其の面目真相を描くに於いて其の鵠を謬る
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もの、果然平八は文学に関する一種の意見を抱けり、
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近来作文家、以 温潤含蓄 為 主、温潤含蓄、固是矣、然見 其所 立 心、
則与 古之作者 、何啻陵谷、古之作者、顧亭林所謂明 道也、紀 政事
也、察 民隠 也、楽 道 人之善 也、其曰 明、曰 紀、曰 察、曰 楽、
則其事其理如 黒白 、不 嘗朦朧 也、而温潤含蓄有 余味 、観 其文 便
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可 見矣、近来作文家、胸先横 利害之心 、故朦 朧其言 以趨避焉、乃
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似 温潤含蓄 、而非 温潤含蓄 也、此弊豈啻近世、在 晩宋 亦然矣、朱
子余龍山文集序略曰、熹小時、猶頗及 見 前輩 而聞 其余論 、覩 其立
心処 己、則以 剛介質直 為 賢、当 官立 事、則以 彊毅果断 為 得、
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至 其為 文、則又務為 明白磊落 、指 切事情 、而無 含糊臠巻雎 側
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媚之態 、使 読 之者不 過 一再 、即暁然知 其為 論 其事 、出 某策 、
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而彼是無 疑也、近年以来、風俗一変、上自 朝廷縉紳 、下及 閭巷韋布 、
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相与伝 習一種議論 、制 行立 言、専以 藉襲蔵、円熟軟美 為 尚、
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使 与 之居者、窮 年而莫 測 其中之懐 、聴 其言 、終 日而莫 知 其意
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之所 郷、回 視四五十年之前 、風声気俗、蓋不 啻寒暑朝夜之相反 、
是孰使 之然 哉、観 於龍山余公之文 者、亦可 以慨然而有 感矣 、吾
勒 斯語 以徴焉、
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『洗心洞箚記』(本文)
その1
覃(どん)した
およぶ
山田準
『大塩中斎』
その15
『洗心洞箚記』(本文)
その80
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