Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.5.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その42

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

洗心洞の学風(19)
 (其一)洗心洞の学説(14)

管理人註



両方面の
調和合一

      ● ● ● ● ● ● ● ●       ● ● ● ●  ● ● ● ● ● ● ● ●      ● ● 問学明道は哲理的研究の方面なり、功業節義は実行的研究の方面なり、明道         ● ●              ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ のみを説かず、事功のみを説かず、之を並立せしむるは、平八の大主眼とす ○ ○ ○ ○ ○ ○                 ● ● ● ●             ○ ○ ○ るところなり、而して其の趣意は知行合一の説に基づく、平八自ら「是余不 ○ ○ ○ ○ ○               ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ○已之苦心也」と、曰ふを見なば、以つて其の如何に此の両方面を結合す ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ るに於いて、意を致し、思を覃したるかの、一班を窺ふを得べし、其の東堂 掲示の劈頭第一に呂新吾の    ○ ○ ● ●  ○ ○ ● ●   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   堯舜事功、孔孟学術、此八字是君子終身急務、 なる語を特筆したる所以の衷情も、亦たここにありしならめ、  **************    ************************** ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 文学に関しては、平八は全く門外漢なり、哲学者として、倫理家として、論                             ・・・・・・ 理家として、又た実行家として、平八は優に其の地歩を占む、而かも平八は ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竟に文学者たる資格を備ふるを得さりき、其の詩篇文章を見るに殆むと詩の 詩にあらす、文の文にあらざるを認めすむはあらず、然れども文学者として 平八を観察せむとするは、却つて其の面目真相を描くに於いて其の鵠を謬る     ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ もの、果然平八は文学に関する一種の意見を抱けり、    ○ ○ ○ ○ ○   ○  ● ● ● ●  ● ○   近来作文家、以温潤含蓄主、温潤含蓄、固是矣、然見其所心、   則与古之作者、何啻陵谷、古之作者、顧亭林所謂明道也、紀政事   也、察民隠也、楽人之善也、其曰明、曰紀、曰察、曰楽、   則其事其理如黒白、不嘗朦朧也、而温潤含蓄有余味、観其文便                                    可見矣、近来作文家、胸先横利害之心、故朦朧其言以趨避焉、乃    ○  ● ● ● ●   ○ ○  ● ● ● ● ○   似温潤含蓄、而非温潤含蓄也、此弊豈啻近世、在晩宋亦然矣、朱   子余龍山文集序略曰、熹小時、猶頗及前輩而聞其余論、覩其立   心処己、則以剛介質直賢、当官立事、則以彊毅果断得、    ○  ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○    ○ ○ ○ ○   至其為文、則又務為明白磊落、指切事情、而無含糊臠巻雎側        ○  ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○    ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○  ○ ○    ○  ○ ○   媚之態、使之者不一再、即暁然知其為其事、出某策、    ○ ○ ○ ○  ○ ○   而彼是無疑也、近年以来、風俗一変、上自朝廷縉紳、下及閭巷韋布、                    ○ ○  ● ● ● ●   ● ● ● ●  ○ ○   相与伝習一種議論、制行立言、専以藉襲蔵、円熟軟美尚、    ○  ○ ○ ○ ○   ○  ○ ○ ○ ○  ○ ○  ○ ○   ○  ○ ○   ○  ○ ○ ○  ○ ○ ○   使之居者、窮年而莫其中之懐、聴其言、終日而莫其意    ○ ○  ○   之所郷、回視四五十年之前、風声気俗、蓋不啻寒暑朝夜之相反、   是孰使之然哉、観於龍山余公之文者、亦可以慨然而有感矣、吾   勒斯語以徴焉、








『洗心洞箚記』(本文)
その1



覃(どん)した
およぶ



山田準
『大塩中斎』
その15


























『洗心洞箚記』(本文)
その80


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