Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.6.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その57

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

知友に一代の翹楚多し(5)

管理人註
山陽平八
の尾張に
之くを送
る


天保元庚寅の歳七月、平八致仕して、招隠の篇を賦せしがば、久太之を聞い て其の頗る機宜を得たるを称し、且つ再び仕途に就ひて人の駆役に任ずべか らざるを戒めり、其の歳九月には平八今や閑散の身となりたればとて、尾張 に赴むき、祖先今川氏の墳墓に謁し、其の霊を祭らむとせり、平八の祖の今 川氏に出でたることは、外舅浅井中倫が、読洗心洞剳記の一篇によりても知 らるべし、其の中言ふあり、   仄聞吾子祖先某君。為駿侯今川氏○○。今川氏之亡也。遂以松平甲蔵   本目権左衛門、尼崎衛門之薦参州岡崎贄。小田原之役。有   殺敵将足立勘平之功。乃賜御弓。復賜采地。其事乃詳見于家譜   矣。其後臣属于尾国。而其子孫以至今其季子某。元和年間、分而為   本府騎吏。吾子乃其後也。 と、以つて其の祖先の今川氏に出づるを知るべし、かくて平八は其の祖先た る今川氏の墳に謁せむと欲し、尾張に向はむとせり、久太乃はち序を作く つて之を送くる、











幸田成友
『大塩平八郎』
その88




石崎東国
『大塩平八郎伝』 その4  
その4




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