山陽平八
の尾張に
之くを送
る
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天保元庚寅の歳七月、平八致仕して、招隠の篇を賦せしがば、久太之を聞い
て其の頗る機宜を得たるを称し、且つ再び仕途に就ひて人の駆役に任ずべか
らざるを戒めり、其の歳九月には平八今や閑散の身となりたればとて、尾張
に赴むき、祖先今川氏の墳墓に謁し、其の霊を祭らむとせり、平八の祖の今
川氏に出でたることは、外舅浅井中倫が、読洗心洞剳記の一篇によりても知
らるべし、其の中言ふあり、
仄聞吾子祖先某君。為 駿侯今川氏○○ 。今川氏之亡也。遂以 松平甲蔵
本目権左衛門、尼崎衛門之薦 至 参州岡崎 委 贄。小田原之役。有 刺
殺敵将足立勘平 之功 。乃賜 御弓 。復賜 采地 。其事乃詳見 于家譜
矣。其後臣 属于尾国 。而其子孫以至 今其季子某。元和年間、分而為
本府騎吏 。吾子乃其後也。
と、以つて其の祖先の今川氏に出づるを知るべし、かくて平八は其の祖先た
る今川氏の墳 に謁せむと欲し、尾張に向はむとせり、久太乃はち序を作く
つて之を送くる、
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幸田成友
『大塩平八郎』
その88
石崎東国
『大塩平八郎伝』 その4
その4
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