Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.6.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その60

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

知友に一代の翹楚多し(8)

管理人註















山陽と平
八との学
術上の方
針

  夫山陽之善属詩文通史事。詩客文人之所知。而我則嘗為吏。与   参訟獄。且講陽明王子致良知之学者也。以世情之。則如                           ○ ○  ○ ○  ○  ○   与山陽相容然。然往来不断。送迎不絶。何也。余善山陽者。不    ○  ○ ○    ○ ○ ○  ○ ○  ○ ○ ○  ○   ○ ○ ○ ○  ○ ○  ○ ○ ○  ○ ○   ○ ○   在其学。而竊取其有胆而識矣。而山陽有何所観以善我乎。吾初    ○  ○ ○   不識也。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 某は外に求めて内に儲へ候、山陽は学術的に於ては帰納的研究法を取りしな ○   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ り、卿は心を洗ふて内に求め候、平八は演繹的研究法を取りしものなり、直 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○                    ○ ○ 覚的頓悟法を取りしものなり、研究の方針は斯の如く相友せり、而かも平八 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ は夙に久太の胆識には服したるなり、久太も亦た平八の胆識に服したるなり、 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 特に其の陽明学者として、嶄然頭角を現はし、一世に睥睨するの気骨に服せ ○ ○ ○ しなり、而して今や山陽亡し、哀哉痛哉、千古の遺憾、而して平八は特に其    ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○  ○ ○ ○ の「一生之心血、半在於此書。」となす所の剳記、刻未だ成らず、而して                                 ○ ○ ○ 久太之を閲し之を評するに及ばずして早く鬼籍に列するを以つて、「余一生 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 涯之遺憾也而已矣、」となせり、明年四月剳記成る、此の時久太の子余一江 戸より芸に還るの途、平八に過ぎり、謀るに其考久太の碑面謚号の字の大小 を以てせり、平八因りて剳記一部を挙げて、之を余一に与ー、謂らく、


高瀬武次郎
「大塩中斎」
その8























嶄然
(ざんぜん)
一段高くぬき
んでているさ
ま


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その54






安芸の国


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