藤樹書院
を訪ふ
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吾心以為猶贈山陽也。然山陽而有霊。必含不尽両巻之憾於地
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下也歟。而今由其贈序之文以観之。則知我者。莫山陽若也。知
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我者。即知我心学者也。雖知我心学。則未尽剳記之両巻。而猶
如尽之也。
以つて如何に平八が山陽に許す所ありしかの一班を見るに足るべし、
久太を哭する明月、即ち壬辰夏六月、平八伏水より江州に入り、琵琶湖に泛
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むで、中江藤樹の遺跡を小川村に訪へり、村は西近江なる比良嶽の北麓に在
り、藤樹は我邦に於ける姚江学派の開宗なり、平八か夙に崇拝するところな
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り、今や其の墳の前に跪づき、野花冷水を手向け、清蘋と素とを采つて、
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其の髣髴たる英霊に咫尺し来る、「白芽一束人如玉」、玉の如きの人、今や
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来つて一束の白芽を捧ぐ、藤樹或は地下に笑を含むで、其の継紹者、其の人
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を獲るを欣ぶや否や、平八は襟を正して危坐墓前に在り、寅虔欽仰、誠敬倶
に到る、天地を俯仰し、古今を商し、其の容儀を想像し、其の道徳を景胆
し、坐に感激の涙を下すを覚えず、平八は去つて藤樹書院に赴むく、書院は
依然として老藤蟠屈の陰に存せり、門人の苗裔医を業とするもの之を監守し、
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恰かもを守もり、神に事ふるが如とし、書院として茲に在り、而して先
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生の学を講ずるもの、今之れあるなし、平八俯仰豈に今昔の感に堪えざらむ
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や、感極まつて乃はち一時を賦して去れり、
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高瀬武次郎
「大塩中斎」
その9
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その52
跪(ひざま)づき
咫尺
(しせき)
貴人に接近する
こと
危坐
かしこまって座
ること、正座
欽仰
(きんぎょう)
尊敬し慕うこと
蟠屈
(ばんくつ)
複雑にいりくん
でいること
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