Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.11.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『日本倫理学史』(抄)その4

三浦藤作 中興館 1943

◇禁転載◇

第三篇 近世  第四章 徳川時代の諸学派
  第二 陽明学派
   第六節 大塩中斎(4)
管理人註
  

  ● ● ●  良知説 中斎は太虚に善悪を識別する能力ありとし、此の能力の方面より 太虚に対して良知の名称を与へた。故に中斎の説によれば太虚も良知も同一 の物である。太虚も良知も等しく心である。其の霊明澄徹なる本体よりこれ を太虚と云ひ、其の善悪を識別する能力よりこれを良知と称するに過ぎない のである。「夫れ良知はたゞこれ太虚霊明のみ。」と言ひ、「真の良知は他 にあらず、太虚の霊のみ。」と言ひ、「良知の虚、便ち是れ天の太虚、良知 の無、便ちこれ太虚の無形。」と言つて居る。良知は善悪を識別する能力で ある。人類の方寸の霊に宿る所の天理である。先天本具の徳性である。無極 の真である。心の精神である。神明である。此の良知の中に良能があり、天 地易簡の知能と一体をなして居る。朱子の如く心と理とを分つべきものでな い。虚霊にして一なるものが存するのみである。此の一なるものによつて、 天も生じ、地も生じ、義も生じ、礼智も生ずる。太虚即ち良知は、万事万徳 の本源である。鬼神といふも畢竟此の良知のことである。良知の外に鬼神と いふものはない。「夫れ心の神は他にあらず、太虚一団霊気の人の方寸に入 るもの、孟子の所謂良知なり。」と彼は論じて居る。


井上哲次郎
「大塩中斎」
その23








『洗心洞箚記』(本文)
その24

『洗心洞箚記』(本文)
その165



















『洗心洞箚記』(本文)
その262


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