Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.12.30

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次
「大塩の乱関係史料集」目次


『通俗洗心洞箚記』
その10

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (6) 六 情欲の動否を験せよ

管理人註

乎物者、常 而動、況逢変 乎、安乎地者、 雖変不動、 況常乎。是故於止、不以 不止也。 救人厄難時、 験吾霊淵一波 動否。一波纔 動、則既有情 慾在焉。非天 体也、非天体、 則不救 之為愈。

   かゝ                  物に繋ッて居るものは、常に動いて居る。況して変に逢へ ば一層甚しく動かざるを得ない。地に安んずるものは、変に 逢うてさへ動かない。況して平常に於てをやである。是の故 に、我々は、止まるべき所に止まり、安んずべき所に安んず るを知らんければならぬ。  さて、我が心が、止まる所に止まり、安んずべき所に安ん         ため じ居るかどうかを験すには、他の厄難を救はんとする時の心              ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ こゝろ ○   ○ ○ ○ 中を自反して見るが宜い。其の時、若し我が霊淵に、我が為 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ めに計る欲念の波が纔かに一波たりとも動くあらば、其は既 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ すがた に情欲の存在を証するもの、決して天体では無い、本然の相 ◎ あらは ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ の表現れでは無い。我が心の本然の相の表現れとしてゞ無い     ひと         いや ならば、他を救ふとは言へぬ。否、左様な動機を以てしてな                        まし らば、救ふよりも、救はずに放ッて置いた方が幾ら愈だか知 れない。

    人を救ふと称して己が財嚢を肥やし、慈善の名の下に己 が生活の資を得んとする偽善の徒輩、此の言を読みて果 して如何の感かある。



『洗心洞箚記』
(本文)その7
















纔(わず)か














財嚢
(ざいのう)
金銭を入れる
袋
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その9/その11

「大塩の乱関係史料集」目次
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ