繋乎物者、常
而動、況逢変
乎、安乎地者、
雖逢変不動、
況常乎。是故於
所止、不可以
不知止也。
救人厄難時、
験吾霊淵一波
動否。一波纔
動、則既有情
慾在焉。非天
体也、非天体、
則不如不救
之為愈。
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かゝ ま
物に繋ッて居るものは、常に動いて居る。況して変に逢へ
ば一層甚しく動かざるを得ない。地に安んずるものは、変に
逢うてさへ動かない。況して平常に於てをやである。是の故
に、我々は、止まるべき所に止まり、安んずべき所に安んず
るを知らんければならぬ。
さて、我が心が、止まる所に止まり、安んずべき所に安ん
ため
じ居るかどうかを験すには、他の厄難を救はんとする時の心
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ こゝろ ○ ○ ○ ○
中を自反して見るが宜い。其の時、若し我が霊淵に、我が為
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
めに計る欲念の波が纔かに一波たりとも動くあらば、其は既
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ すがた
に情欲の存在を証するもの、決して天体では無い、本然の相
◎ あらは ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
の表現れでは無い。我が心の本然の相の表現れとしてゞ無い
ひと いや
ならば、他を救ふとは言へぬ。否、左様な動機を以てしてな
まし
らば、救ふよりも、救はずに放ッて置いた方が幾ら愈だか知
れない。
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『洗心洞箚記』
(本文)その7
纔(わず)か
財嚢
(ざいのう)
金銭を入れる
袋
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