Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.22

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『通俗洗心洞箚記』
その104

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (18)一八 亦何ぞ疑はん

管理人註

方寸之虚、与太虚刻不通也。如 隔而不通焉、則非 生人也。何者、今 以物塞乎口中、 即方寸之虚閉、而呼 吸絶矣、忽為死人。 故方寸之虚、不 刻不於太虚也。 是無他。以太即心 之本体故也。亦何 疑也哉。

         しばらく  人の方寸の虚は、刻も太虚と通ぜずに居ることは出来ぬ。 もし 如、隔てゝ通じさせぬならば、それは生きて居る人ではない。 何となれば、今、物を以て口中を塞げば、方寸の虚は閉ぢら れて了ッて呼吸は絶えてしまふ。そして死人になッて了ふ。         しばらく 故に方寸の虚は、刻も太虚と通ぜずに居ることは出来ぬとい                 やが ふのである。是れ何が為か。太虚は即て我が心の本体だから である。此の理頗る明にして、何等疑ふ余地もない。

                        我が精神はやがて宇宙である。此の語、科学的、物質的 には大なる意味をもなさぬが、精神の具体化的説明とし ては頗る興味がある。

『洗心洞箚記』
(本文)その186


 


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