孟子浩然之気、於
何処認識之。七
篇中処処皆是也。
而如見梁恵章
尤彰彰焉其千里而
見梁恵、不亦労
乎。而答其利吾
国之問、以「何
必曰利、亦有仁
義而已矣。」之一
語、遏他慾、伸
吾道、不肯顧其身
之用不用、便是至
大至剛也。便是浩然
之気也。又何認識
之難之有。
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(一)
孟子の謂ふ所の浩然の気は、何れの記述、何れの事情に於
て認識することが出来るかといふに、孟子七篇の中、其の記
述皆浩然の気を言はざるは無い。中に就いて、其の梁の恵王
あきらか
に見ゆる章の如き、最も彰彰に浩然の気が現はれて居る。
孟子、千里を遠しとせずして梁恵王に見えたといふことは
余程の努力の結果である。而も、謁見したる最初の会談に於
て、王の「我が国を利する方法如何」との問に対して、「何
ぞ必ずしも利を言はん、亦仁義あるのみ」の大胆なる一語を
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ とゞ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
以て答へたる如き、対者の慾を遏めて、我が道を伸ばさんと
○ あへ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
し、肯て、其の身の用ひらるゝと用ひられざるとを聊も眼中
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
に置かざるところ、便ち是れ至大至剛では無いか。便ち是れ
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
浩然の気では無いか。又何ぞ之を認識するに困難があらう。
(一)孟子公孫丑章句上にかういふ問答がある。丑『夫
子は何に於て長ずるか。』孟子『我善く吾が浩然の
気を養ふ。』丑『何をか浩然の気といふ。』 孟子
『曰ひ難し。其の気たるや至大至剛、直を以と養ひ
て害するなければ天地の間に塞がる』と。即ち孟子
の浩然の気は、文天祥の天地の正気。宋儒の良知。
中斎の太虚の徳等と同じものである。
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『洗心洞箚記』
(本文)その192
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