Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.25

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『通俗洗心洞箚記』
その107

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (21)
 二三 是れ実に至大至剛

管理人註

孟子浩然之気、於 何処識之。七 篇中処処皆是也。 而如梁恵 尤彰彰焉其千里而 見梁恵、不亦労 乎。而答其利吾 国之問、以「何 必曰利、亦有仁 義而已矣。」之一 語、遏他慾、伸 吾道、不肯顧其身 之用不用、便是至 大至剛也。便是浩然 之気也。又何認識 之難之有。

        (一)  孟子の謂ふ所の浩然の気は、何れの記述、何れの事情に於 て認識することが出来るかといふに、孟子七篇の中、其の記 述皆浩然の気を言はざるは無い。中に就いて、其の梁の恵王            あきらか に見ゆる章の如き、最も彰彰に浩然の気が現はれて居る。  孟子、千里を遠しとせずして梁恵王に見えたといふことは 余程の努力の結果である。而も、謁見したる最初の会談に於 て、王の「我が国を利する方法如何」との問に対して、「何 ぞ必ずしも利を言はん、亦仁義あるのみ」の大胆なる一語を ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ とゞ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 以て答へたる如き、対者の慾を遏めて、我が道を伸ばさんと ○   あへ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ し、肯て、其の身の用ひらるゝと用ひられざるとを聊も眼中 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ に置かざるところ、便ち是れ至大至剛では無いか。便ち是れ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 浩然の気では無いか。又何ぞ之を認識するに困難があらう。

                        (一)孟子公孫丑章句上にかういふ問答がある。丑『夫   子は何に於て長ずるか。』孟子『我善く吾が浩然の   気を養ふ。』丑『何をか浩然の気といふ。』 孟子   『曰ひ難し。其の気たるや至大至剛、直を以と養ひ   て害するなければ天地の間に塞がる』と。即ち孟子   の浩然の気は、文天祥の天地の正気。宋儒の良知。   中斎の太虚の徳等と同じものである。

『洗心洞箚記』
(本文)その192
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その106/その108

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