読 祝 章 嘆曰。
春秋之世、好 侫
悦 美、葢当 其
時 、大学之道既
亡、而致知之教自
廃矣。是故人人不
知 心神明為 何物 。
只触 気随 意、好
侫悦 美而已。故祝
輩得 志以行 姦。
而其為 君者、昏然
為 其所 欺罔 、与
無知之物 一般、遂
至 於亡 身以破 家
国 。要 之以 不 知
其致 良知 也。後人
如不 知 致 良知 、
則祝 輩何世無 之。
恐為 他亦所 欺罔 。
聖人載 之言 、不 惟
誡 当時 、為 天下万
世 立 言也。読 之者、
豈可 忽哉。
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わし (一)
予は論語の祝 の章を読んで深く感じたことがある。春秋
の世は、侫を好み美を悦ぶが其の俗であッて、大学の明徳を
明にし、民に親しみ、至善に止まる道の如き既に亡び、致知
おのづか
の教亦自ら廃れて居たのである。是の故に当時の人々、心神
の明の如何なるものかを知らず、たゞ気に触れ、意に随ッて
侫を好み、美を悦ぶが、是れ人の面目であるとやうに考へて
居た。即ち一般人民が無自覚であッて、伝習的風俗に従ふ外、
何等の与論も何等の制裁も無かッたのである。さればこそ、
ともがら
祝 の輩すら、猶ほ一時に志を得て、以て姦邪のを行を逞し
あざむ たぶらか
うし、而も其の君たる昏然として其等姦邪の輩に欺き罔され
て肯て覚らない。殆んど無知の人と一般、遂に身を亡ぼし国
家を破るに至ッたのである。要するに上下挙ッて、良知を呼
び醒すを知らず、人格的自覚に達することを力めなかッた結
果である。されば若し、後世の人にても、良知を致して自覚
的生活に入るを知らず、徒らに旧慣習俗に囚はれて居るのみ
であッたならば、如何なる禍の我が身に降りかゝらうも知れ
ぬ。則ち祝 の徒輩は何時の世にも絶えはせぬ、随ッて、其
たぶらか
の良知を致すを知らざるの民は、恐らくは他の為に欺き罔さ
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るゝに至るであらう。思うて茲に至れば、聖人の此の言を載
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するの要旨は単に其の当時の誡めんが為のみでは無くて、実
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に天下万世の為の立言であると知れる。此れを読むもの決し
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て此の点を忽にすべきでは無い。
(一)祝は宋廟の官「ハフリ」 は衛の太夫、字は子魚、
宗祝であッた故に祝 といふ。論語雍也篇に『子の
曰く、祝 の侫あらずして宋朝の美あらんには難い
かな今の世に免れんことや』とあり。宋朝は、宋の
公子、美色あり、諛を好みも色を悦ぶ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その194
忽
(ゆるがせ)
諛
(へつらい)
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