Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.26

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次
「大塩の乱関係史料集」目次


『通俗洗心洞箚記』
その108

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

            いづれ
下巻 (22)二四 何の世にか之無からん

管理人註

嘆曰。 春秋之世、好侫 悦美、葢当其 時、大学之道既 亡、而致知之教自 廃矣。是故人人不心神明為何物。 只触気随意、好 侫悦美而已。故祝 輩得志以行姦。 而其為君者、昏然 為其所欺罔、与 無知之物一般、遂 至於亡身以破家 国。要之以 其致良知也。後人 如不良知、 則祝輩何世無之。 恐為他亦所欺罔。 聖人載之言、不惟 誡当時、為天下万 世言也。読之者、 豈可忽哉。

 わし       (一)  予は論語の祝の章を読んで深く感じたことがある。春秋 の世は、侫を好み美を悦ぶが其の俗であッて、大学の明徳を 明にし、民に親しみ、至善に止まる道の如き既に亡び、致知    おのづか の教亦自ら廃れて居たのである。是の故に当時の人々、心神 の明の如何なるものかを知らず、たゞ気に触れ、意に随ッて 侫を好み、美を悦ぶが、是れ人の面目であるとやうに考へて 居た。即ち一般人民が無自覚であッて、伝習的風俗に従ふ外、 何等の与論も何等の制裁も無かッたのである。さればこそ、    ともがらの輩すら、猶ほ一時に志を得て、以て姦邪のを行を逞し                       あざむ たぶらか うし、而も其の君たる昏然として其等姦邪の輩に欺き罔され て肯て覚らない。殆んど無知の人と一般、遂に身を亡ぼし国 家を破るに至ッたのである。要するに上下挙ッて、良知を呼 び醒すを知らず、人格的自覚に達することを力めなかッた結 果である。されば若し、後世の人にても、良知を致して自覚 的生活に入るを知らず、徒らに旧慣習俗に囚はれて居るのみ であッたならば、如何なる禍の我が身に降りかゝらうも知れ ぬ。則ち祝の徒輩は何時の世にも絶えはせぬ、随ッて、其                          たぶらか の良知を致すを知らざるの民は、恐らくは他の為に欺き罔さ                    ・・・・・・・・ るゝに至るであらう。思うて茲に至れば、聖人の此の言を載 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ するの要旨は単に其の当時の誡めんが為のみでは無くて、実 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ に天下万世の為の立言であると知れる。此れを読むもの決し ・・・・・・・・・・・・・・ て此の点を忽にすべきでは無い。

                        (一)祝は宋廟の官「ハフリ」は衛の太夫、字は子魚、   宗祝であッた故に祝といふ。論語雍也篇に『子の   曰く、祝の侫あらずして宋朝の美あらんには難い   かな今の世に免れんことや』とあり。宋朝は、宋の   公子、美色あり、諛を好みも色を悦ぶ。

『洗心洞箚記』
(本文)その194




















































(ゆるがせ)










(へつらい)
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その107/その109

「大塩の乱関係史料集」目次
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ