Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.24

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『通俗洗心洞箚記』
その106

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (20)
 二〇 人と太虚と (その一)

管理人註

聖人即有言之 太虚。太虚即不 言之聖人。

    ものい  聖人は言ふ太虚。太虚は言はぬ聖人。聖人と太虚とは、実 に其の本体を同じうする。

                        大公正、大慈悲にして、虚偽もなく、巧術もなく、自然 のまゝにて、能く道に中る。聖人の心は、実に太虚の体 を得たものである。

『洗心洞箚記』
(本文)その187

 二一 人と太虚と (その二) 

管理人註

太虚容世界、世 界容於太虚、而 物千変万化。未嘗 能礙於太虚則 聖人之心量無累、 於是乎可見矣。

 太虚は世界を容れ、世界亦太虚を容る。物その間にあッて 千変万化、而も太虚に何等の障礙をも与へない。聖人の心量 大に、一切を包容して何等の累なき所以の理亦是に依ッて明 である。


『洗心洞箚記』
(本文)その189

 二二 人と太虚と (その三) 

管理人註

方寸之虚。与口 耳之虚本通一。而 口耳之虚、即亦与 太虚通一。而無 際焉。包括四海、 含容宇宙、不 捉捕者也。語大 天下莫能載焉之 義甚分暁、不 手舞足踏

             も と  方寸の虚と口耳の虚とは本来と通一。而して口耳の虚と太                         かぎり 虚の虚とも亦通一。故に方寸の虚は太虚の虚に通じて際もな く広がッて居て、四海を包括し、宇宙を含容して居る。而も 是れ捉捕することの出来ぬ実在である。中庸に謂ふ所の『君 子大を語れば、天下よく載する莫し。』の義、観じ来れば甚     わし だ分暁、予は此の理に思ひ及びたる時、実に手の舞ひ足の踏 む所を知らなかッた。


『洗心洞箚記』
(本文)その189
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その105/その107

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