筍子性悪之説、当
之于情、則不易之
論。而当之于性、
則不合也。此
無他。他只看陰
陽、而未見太極
故也。
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荀子性悪の説も、之を情に当てゝ考ふれば、万古不易の論
である。而も之を性に当てゝ考ふれば、事実と合はぬ。斯く
苟子の考へたのは、抑も何故であるか、陰陽に分れての後の
性を考へたからである。未だ陰陽に分れぬ前の太極に就いて
考へなんだからである。
『太極(性)の引用の流行となる。太極そのまゝなら
ば善だが、陰陽の流行となると、天理(性)人欲(情)
の別を生ずる。』との見解に依ッて斯く言ッたのである。
が、此の見解そのものにも勿論疑ひがある。今日では、
孟子の性善をも取らぬ。苟子の性悪をも取らぬ。性その
ものには善も悪もないのである。
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『洗心洞箚記』
(本文)その198
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