暁行。聞寺鐘、又
聞村、乃告所
従之弟子曰。夫鐘
之鳴、以其虚乎
中。其遠響乃喚
醒家家睡人、而
自其口咽通于心、
即亦虚也。故有声
以告時夜。如両非
有虚、則無響与声
矣。故人亦不塞於方
寸之虚、即無不感
通於事物也。輩学
者、学此也。問者問
此也。思者思此也。
弁者弁此也。行者行
此也。而人欲去、全
帰乎太虚、則其
不可言述也。奚啻
鐘与鶏之類也哉。
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はや
朝暁く道を行く。寺の鐘が聞える。村の鶏が鳴く。予は此
の時、従ひ来る弟子を顧みて言ッた。
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鐘の鳴るのは、其の中が虚だからである。而も其の響が遠
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くへ伝ッて家々の睡ッて居る人を喚び醒ます。鶏も亦、其の
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口、咽から心に通じて虚である。故にあの美しい声で以て時
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を告げ昼夜を報ずるのである。如、両ながら虚でなかッたな
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ら、其の響、其の声は無い。人も亦、方寸の虚を塞げば声が
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ いのち ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
出なくなる。声が出ぬばかりか生命が失くなる。其の代り方
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寸の虚をだに塞がぬならば、其の心は、如何なる事、如何な
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る物にも感通せぬといふことは無い。
おまへたち
輩、学に志すものは、此処に意を用ひんければならぬ。
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学ぶとは何を学ぶのか、此の理を学ぶのである。問ふとは何
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を問ふのか、此の理を問ふのである。思ふとは何を思ふのか、
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此の理を思ふのである。弁ずるとは何を弁ずるのか、此の理
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を弁ずるのである。行ふとは何を行ふのか、此の理を行ふの
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である。而して、真に人欲を去り得、全く太虚に帰り得たな
らば、其の妙、到底、口に言ひ、筆に述ぶることが出来ぬ。
啻に鐘や鶏の比喩に依ッて知らるゝ類のものゝみでは無い。
雑念を排除したる心は克く万物万事と共鳴感通する。鐘
と鶏との虚を借りて、此の理を象徴せりと見れば、此の
語、吾人が修養の良師として頗る暗示に富めるを覚ゆる。
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『洗心洞箚記』
(本文)その199
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