Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.29

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『通俗洗心洞箚記』
その111

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (25)二七 鐘響鶏声

管理人註

暁行。聞寺鐘、又 聞、乃告 従之弟子曰。夫鐘 之鳴、以其虚乎 中。其遠響乃喚 醒家家睡人、而其口咽于心、 即亦虚也。故有声 以告時夜。如両非虚、則無響与声 矣。故人亦不於方 寸之虚、即無 通於事物也。輩学 者、学此也。問者問 此也。思者思此也。 弁者弁此也。行者行 此也。而人欲去、全 帰乎太虚、則其言述也。奚啻 鐘与鶏之類也哉。

  はや  朝暁く道を行く。寺の鐘が聞える。村の鶏が鳴く。予は此 の時、従ひ来る弟子を顧みて言ッた。   ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  鐘の鳴るのは、其の中が虚だからである。而も其の響が遠 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ くへ伝ッて家々の睡ッて居る人を喚び醒ます。鶏も亦、其の ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 口、咽から心に通じて虚である。故にあの美しい声で以て時 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  もし   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ を告げ昼夜を報ずるのである。如、両ながら虚でなかッたな ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ら、其の響、其の声は無い。人も亦、方寸の虚を塞げば声が ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ いのち ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ 出なくなる。声が出ぬばかりか生命が失くなる。其の代り方 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ 寸の虚をだに塞がぬならば、其の心は、如何なる事、如何な ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ る物にも感通せぬといふことは無い。 おまへたち  輩、学に志すものは、此処に意を用ひんければならぬ。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● 学ぶとは何を学ぶのか、此の理を学ぶのである。問ふとは何 ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● を問ふのか、此の理を問ふのである。思ふとは何を思ふのか、 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● 此の理を思ふのである。弁ずるとは何を弁ずるのか、此の理 ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● を弁ずるのである。行ふとは何を行ふのか、此の理を行ふの ● ● ● である。而して、真に人欲を去り得、全く太虚に帰り得たな らば、其の妙、到底、口に言ひ、筆に述ぶることが出来ぬ。 啻に鐘や鶏の比喩に依ッて知らるゝ類のものゝみでは無い。

                        雑念を排除したる心は克く万物万事と共鳴感通する。鐘 と鶏との虚を借りて、此の理を象徴せりと見れば、此の 語、吾人が修養の良師として頗る暗示に富めるを覚ゆる。

『洗心洞箚記』
(本文)その199
 


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