Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.30

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『通俗洗心洞箚記』
その112

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (26)二八 命を知るとは

管理人註

乎雨、而 到於与人所約処、 便最知命也。如先 卜雨而不到焉、 便是不命也。夫 君子之云命者、非 卜筮及世俗所云之 命者也。体道者而 後能知之。

 雨に障害をも知らないで、人と約束した場所に行ッたとし                    もし たなら、それは運命を知れるものである。如、先づ雨の将に 降り来らんとするを卜して約束の場所に行かなかッたとすれ ば、それは運命を知らざるものである。君子の謂ふ所の運命   うらなひ と、卜筮や世俗に謂ふ所の運命とは違ふ。此の事は、真に道 を体して後始めて知ることが出来る。

                        自分の尽すべきを尽さずに、斯の約束を違へねばならぬ ことゝなッたのも運命だと、自己の怠情からの違約を弁 護する如きは決して命を知るものとは言へない。たとひ、 如何なる運命にせよ、人事はどこまでも尽さんければな らぬ。尽すべきを尽した結果、何れの点に到達しようが それを悲観せぬが真に命を知れるものである。此の一條、 通俗の例を以て、浅薄なる運命論の斥くべきを言ひ、真 の「命を知る」の如何なるものなるかを言ひて頗る肯綮 に当れるを思ふ。

『洗心洞箚記』
(本文)その200


























肯綮
(こうけい)
物事の急所
 


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