Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.2

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『通俗洗心洞箚記』
その114

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (28)三〇 霊力そも何にか在る

管理人註

心帰乎太虚、然後 実理始存焉。不 乎太虚、則実理埋 没了、与物不異、 夫人而与異、 可恥之甚者也。挙 世不之、則其霊 将何在哉。

             (一)  心太虚に帰るを以て始めて実理は存するのである。太虚に 帰らぬならば、実理は埋没して了ッて物と異ならぬ。人にし て物と異ならぬは、最も恥づべきことである。而も今の世の   こぞ                    いづく 人、挙ッて之を恥ぢとせぬ。斯くては人としての霊、そも何 にあるであらうか。

                        (一)こゝに実理とあるのは精神的霊覚、虚霊不昧なる   実在を指すのである。大体に於て前より述べ来れる   良知と略同じである、と見てよろしからう。

『洗心洞箚記』
(本文)その202
 


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