漢末仏法入中国、
有所由来焉。菫
子対策曰。「誅名
而不察実、為善
者不必免、而犯
悪者未必刑也。是
以百官皆飾虚辞、
而不顧実、外有
事君之礼、内有
背上之心。造偽
飾詐、赴利亡恥。
吁、此乃仏之所由
入焉乎。此乃天堂
地獄之所由起乎。」
然則非仏氏自入中
国、而中国故招仏
而来也。欧陽公本論、
乗其闕廃之説、是
矣。
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漢末に仏法が支那に入ッたのは、由来する所がある。これ
に就いて、菫子の対策に斯うある。
(一)
『名を誅して実を察せざるが故に、真実に善を為せるもの
も必ずしも誅を免れず、真実に悪を犯せるものも必ずしも刑
せられぬ。是を以て百官皆虚辞を飾りて其の実を顧みぬ。外
には君に事ふるの礼あるも、内には上に背く心がある。斯く
わす (二)
て偽を造り、詐を飾り、利に赴き、恥を亡るゝ。あゝ此れ乃
ち仏入る所由か。此れ乃ち天堂地獄の起る所以か。』と。
して見れば、仏教の自ら中国に入ッたのでは無くて、中国
(三)
からして仏を招き寄せたのである。欧陽公が仏教伝来論に於
て其の闕廃に乗ずるの説を立てたのも、至当である。
(一)名目や辞柄や習慣やに拘泥して其の実情如何を察
せぬからして、実際善を行うても、外面的形式に欠
くる所あれば、誅せられることもあり、実際は悪を
犯しても、名目さへ悪くないなら、決して刑せられ
ぬやうな有様もあッたからの意。
(二)支那の当時の実情では、善を行うても現世に於て
は善い報を受くる能はず、悪を行うても現世では悪
い報いを受けないで済む、これは理窟に合はないと
人々皆思ッてゐる所へ、過去の業報を説き、未来の
地獄天国を説く仏教は、時人の心に頗る満足を与へ
得た故にの意。
(三)欧陽修のこと、宋の人、思想家にして且つ文章の
名人、朋党論を作りて邪説を破ッた。仏教伝来のこ
とを論じて、当時の社会に欠陥があッた((二)で
言ッたやうな)から其の欠陥に乗じて入ッて来たと
言ッた。
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『洗心洞箚記』
(本文)その205
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