Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.3

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『通俗洗心洞箚記』
その115

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (29)三一 仏法伝来の理由

管理人註

漢末仏法入中国、 有由来焉。菫 子対策曰。「誅名 而不実、為善 者不必免、而犯 悪者未必刑也。是 以百官皆飾虚辞、 而不実、外有君之礼、内有上之心。造偽 飾詐、赴利亡恥。 吁、此乃仏之所由 入焉乎。此乃天堂 地獄之所由起乎。」 然則非仏氏自入中 国、而中国故招仏 而来也。欧陽公本論、 乗其闕廃之説、是 矣。

 漢末に仏法が支那に入ッたのは、由来する所がある。これ に就いて、菫子の対策に斯うある。   (一)  『名を誅して実を察せざるが故に、真実に善を為せるもの も必ずしも誅を免れず、真実に悪を犯せるものも必ずしも刑 せられぬ。是を以て百官皆虚辞を飾りて其の実を顧みぬ。外 には君に事ふるの礼あるも、内には上に背く心がある。斯く                   わす     (二) て偽を造り、詐を飾り、利に赴き、恥を亡るゝ。あゝ此れ乃 ち仏入る所由か。此れ乃ち天堂地獄の起る所以か。』と。  して見れば、仏教の自ら中国に入ッたのでは無くて、中国                 (三) からして仏を招き寄せたのである。欧陽公が仏教伝来論に於 て其の闕廃に乗ずるの説を立てたのも、至当である。

                        (一)名目や辞柄や習慣やに拘泥して其の実情如何を察   せぬからして、実際善を行うても、外面的形式に欠   くる所あれば、誅せられることもあり、実際は悪を   犯しても、名目さへ悪くないなら、決して刑せられ   ぬやうな有様もあッたからの意。 (二)支那の当時の実情では、善を行うても現世に於て   は善い報を受くる能はず、悪を行うても現世では悪   い報いを受けないで済む、これは理窟に合はないと   人々皆思ッてゐる所へ、過去の業報を説き、未来の   地獄天国を説く仏教は、時人の心に頗る満足を与へ   得た故にの意。 (三)欧陽修のこと、宋の人、思想家にして且つ文章の   名人、朋党論を作りて邪説を破ッた。仏教伝来のこ   とを論じて、当時の社会に欠陥があッた((二)で   言ッたやうな)から其の欠陥に乗じて入ッて来たと   言ッた。

『洗心洞箚記』
(本文)その205
 


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