Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.4

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『通俗洗心洞箚記』
その116

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (30)三二 師友の資に縁りて

管理人註

下等之人、縁師友 之資、強為善者、 譬如満盂水。 心手微動則不 洩于左、必流洩于 右、不洩于前、 必流洩于後。是故 宜自存臨深履薄之 念於内、而師友父 兄、常用酔漢 之労於外、則庶幾 免於左右前後之流 洩矣。

  ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  下等の人は、善を為すにも決して自ら進んで好んで喜んで ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○たすけ ○よ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 楽しんで之を為すのでは無い。師友の資に縁りて強いて善を ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ どう ○ ○ 為すか、僅に不善を為さずに居るかに過ぎぬ。従ッて何して、 ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○うつは○ ○ ○ ○ ○ 何時、不善を為さうも知れぬ。例へば、満水の盂を捧げ持ッ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  こゝろのて○わづか○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○  て居るやうなものである。心手が微でも動けば、水は必ず流 ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ れ洩れる。右へれ洩れねば左へ、前へ流れ洩れねば後へ、何 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ あぶない○ ○ ○ ○ ○   ○ ○   ○ れへか必ず流れる、洩れる、実に危険ものである。故に、其 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○(一)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ の人自身は常に自ら深きに臨み薄きを履むの念を内に存して ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ 放つことなきやう努力するが必要であり、而して、其の師友 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ たり父兄たる人は、常に酔漢を扶くるの労を外より加へんけ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   わづか ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ればならぬ。斯くて始めて、庶幾に左右前後への流洩を免るゝ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ を得るであらう。

                        中人已下の人々の修養上にも将た中人已下の人を指導す る人々にも頗る珍重すべき教である。 (一)用心深くせぬと危ないことにいふ。詩経に「戦々   兢々として深淵に臨むが如くし薄を履むが如くす」   とある。

『洗心洞箚記』
(本文)その206
 


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