下等之人、縁師友
之資、強為善者、
譬如捧満盂水者。
心手微動則不流
洩于左、必流洩于
右、不流洩于前、
必流洩于後。是故
宜自存臨深履薄之
念於内、而師友父
兄、常用扶酔漢
之労於外、則庶幾
免於左右前後之流
洩矣。
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下等の人は、善を為すにも決して自ら進んで好んで喜んで
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○たすけ ○よ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
楽しんで之を為すのでは無い。師友の資に縁りて強いて善を
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ どう ○ ○
為すか、僅に不善を為さずに居るかに過ぎぬ。従ッて何して、
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○うつは○ ○ ○ ○ ○
何時、不善を為さうも知れぬ。例へば、満水の盂を捧げ持ッ
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ こゝろのて○わづか○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
て居るやうなものである。心手が微でも動けば、水は必ず流
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れ洩れる。右へれ洩れねば左へ、前へ流れ洩れねば後へ、何
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ あぶない○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
れへか必ず流れる、洩れる、実に危険ものである。故に、其
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○(一)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
の人自身は常に自ら深きに臨み薄きを履むの念を内に存して
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放つことなきやう努力するが必要であり、而して、其の師友
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たり父兄たる人は、常に酔漢を扶くるの労を外より加へんけ
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ わづか ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
ればならぬ。斯くて始めて、庶幾に左右前後への流洩を免るゝ
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を得るであらう。
中人已下の人々の修養上にも将た中人已下の人を指導す
る人々にも頗る珍重すべき教である。
(一)用心深くせぬと危ないことにいふ。詩経に「戦々
兢々として深淵に臨むが如くし薄を履むが如くす」
とある。
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『洗心洞箚記』
(本文)その206
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