Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.6

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次
「大塩の乱関係史料集」目次


『通俗洗心洞箚記』
その118

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (32)三四 虚名と実名

管理人註

韓昌黎曰。「名之所 存、謗之所帰也。」 夫有実徳而有其誉、 有実行而有其声、 則奚謗之招。如爾、 則無実徳而有其誉、 無実行而有其声者 也。謗之至、不亦宜 乎。故許魯斎曰。「無 実而得誉、可乎。大 誉則大毀至、小誉則小 毀至、必然之理也。惟 聖賢得誉、則無毀、大名之下難処、 在聖賢則異於是、 無於難処者。無実 而得名、故難処。名 美器也、造物者忌多 取。非多取、忌 夫無実而得名者」。 韓子学文而窺道者、 故其言如彼。許子理 学名儒、故其言如此。 有虚名者、宜韓 子言以避之、無実 名者、須許子言 以立之。

 (一)  韓昌黎は言ッた。  『名の存する所は謗の帰する所である』と。  誉められる丈の徳が実際にあッて、それに相応する誉があ り、誉められる丈の行が実際にあッて、それに相応する誉が あるのならば、何の謗をか招かう、決して謗を招く筈は無い。      か           つまり 韓昌黎が爾く言ッたのは畢竟、実徳が無くて、其の名誉が有 り、実行が無くて其の声望が有る場合を言ッたのであらう。 斯様な場合に其の誉に伴うて、謗の来るのは当然のことであ     (二) る。故に許魯斎は言ッた。             『実なきに誉を得て可いものか。若し実無きに誉を得んに は、大なる誉があれば必ず大なる毀が伴ふであらう。小なる 誉があれば必ず大なる毀が伴ふであらう。たゞ聖賢の誉を得 るは、実あッて得る誉なるが故に、毀の伴ふことは決して無 い。世の人、動もすれば、言ふ、「余りに名誉が高い人にあッ           にく ては、反ッて活動がし難い」と。けれども、是は常人の虚名 空誉の場合に言ひ得べきことで聖賢の場合には当嵌らない。                しにく 即ち「処し難い、反ッて活動が仕難い」といふのは、実なき に得た誉の下にあるからである。聖賢の実徳実行に伴ふ正当     もと の名誉の下でならば、如何に大名の下なればとて、決して活 動が仕難いことは無い。また世の人は言ふ。「名は美器であ る。故に造物者之を多く取るを忌む」と。しかし造物者必ず しも、名を多く取るを忌むので無い。かの実無くして徒らに 虚名を得んとするものを忌むのである』と。  以上二人の意見を併せ考へて見るに、何れも真理を含んだ 思想である。韓子は、文を学んで道を窺ひ得て居る人であッ                           (三) た。故に虚名を忌んで彼の言を為し得たのである。許子は理                           ○ ○ 学の名儒である。故に斯く言ひ得たのである。されば、世の ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 現に虚名を為せるものは、韓子の言ふ所に鑒みて以て之を避 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ けんことに努力するがよい。又、現に実際何等の名誉の無き ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ものは、韓子の言に憤激して、以て実名を立てんことに心が ○ ○ ○ ○ ○ ○ く可きである。

                        (一)韓昌黎は文章を以て有名なり、名は愈、字は退之、   昌黎は其の号である。昌黎文集あり。 (二)許魯斎、名は衛、字は仲平、元の人、朱子の学を   奉じ之を唱説する頗る勗む。小学大義、読易私言等   の著あり。朱子に次ぐの大儒。     ○ ○              ○ ○ (三)理学は朱子学のこと。陸王の学を心学といふと一   般。

『洗心洞箚記』
(本文)その212



(そしり)




















(そしり)









嵌(はま)らない


















































勗(つと)む
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その117/その119

「大塩の乱関係史料集」目次
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ